母の病気
母が再び脳出血で入院した。
自宅で転倒して動けなくなり、救急車で搬送されたところ、1週間前に起こしていたと思われる脳出血が確認された。
かかりつけの病院へ受け入れてもらえることができたのが不幸中の幸いだ。
右脳出血により、左半身に軽い麻痺があり、上手く歩けなくなっていたようだ。
最近腰が曲がってしまい、足腰の痛みを訴えるようになっていたので、「上手く歩けず転んじゃうのよね。靴下が滑るみたい。」という切実な訴えも、腰が原因だと思い込んでいた。
休日に様子を見に行くと、ベッドの上で、変な姿勢で横になっていた。
手を取って介助して、何とかよちよちトイレに行けたものの、一人ではどうにもならないレベルだった。
それでも寝室からリビングまで連れ出し、ご飯を食べさせたら、案外普通に話していたので、脳出血とは考えられなかった。
私が帰ろうとした時、玄関でひっくり返った。頭をぶつけた。腰もぶつけた。
抱きかかえて起こそうとしたが、痛がって少しも動かせない。
終わった。と思った。
すぐに119番通報。
幸い骨折はしなかったものの、脳出血が見つかった。
転倒とは関係のない、1週間くらい前の脳出血だ。
脳の異変に気付けなかった娘に、「何しているの?早く何とかしてあげなさいよ。」という神の思し召しが、母を転倒させたのだと思った。
気付いてあげられなかった自分が歯がゆい。
緊急入院すると、人間は自分の病状や環境の変化から想像を絶するストレスを感じ、不安になる。
最初の夜は、不穏になって点滴を抜去するなど暴れたらしい。
食事も喉を通らなかったようだ。
「皆が私の家を狙っている」とか、「アフリカ人が家に泊まりに来たのよ。セネガル人かしら。」などせん妄症状を認めたので、まずはできるだけ不安を取り除いてあげようと、毎日病院に通った。
母の入院している病院は面会がゆるく、夜8時までOKというのが有難い。
しかも食事持ち込みOKの神対応。
母の大好きな“ひなあられ”や“りんご”を食べさせて、コーヒーを飲みながら、入院生活についての話に耳を傾けた。
変なことを言っても否定せず、ただ受け入れた。
そうしているうちに、だんだん表情が穏やかになり、いつもの母に戻っていった。
「この病院の人たちは良くやってくれるわ。」と、感謝の言葉に変わっていった。
足の麻痺があるので、歩けない。
しらばくリハビリが必要になるけれど、一人で歩いてトイレに行けるくらいまで回復して欲しい。
それにしても、なぜ私の両親は揃って脳卒中となり、後遺症に苦しめられることになるのだろうか。
脳が不自由になることは、健常者の我々には到底理解できないような苦しみがあるようだ。
不安、焦り、苛立ち。
6年間親の介護に直面してきたので、どのように対応すべきかということは頭では理解できる。
大切なことは、病気の人を不安にさせないこと。安心させること。
しかし、実の親の脳が壊れていく様子を目の当たりにすると、理想通りに優しくはなれない。
感情が許さないのだ。
保護者である私が、時に厳しくなったり、声を荒げてしまうこともある。
そのたびに落ち込む。
自分の頭の中に、こんがらがった針金の塊が植え込まれているような感覚だ。
こんな状態でも、日々の仕事はきちんとやらなければならない。
そして家族が安心して暮らせるようサポートしなければならない。
いや、それが出来ている自分の脳が正常なことに感謝である。
我々の能力は人それぞれだ。超ハイスペックな脳もあれば、ロースペックな脳もある。
脳血管疾患だけでなく、うつ状態など精神を病んでしまうと脳が働かなくなってしまうらしい。
DVなどのトラウマでもそうなるらしい。
依存症や借金まみれになる人たちは、脳の働きに問題が発生しているので、自助努力ではどうにもならないようだ。
だらしないとかやる気がないという自己責任論では片付けられない問題。
だから、頭脳に対して良し悪しをつけることが間違っており、能力の高い人は困っている人を助けるために使ってこそ意味があるのではないかと思う。
プライベートネタを炸裂させてしまったけれど、親の病気を通して、残酷な人間社会についてものすごく考えさせられたからどうしても記しておきたかった。
まだまだ私の修行は続きそうだ。
参考文献
『貧困と脳』(著)鈴木大介 幻冬舎新書