30年ぶり以上に、高校時代の友人Iさんと再会しました。
年賀状はずっと続けていたのですが、なかなか「会いましょう」ということにはならず、50歳を過ぎてしまいました。
お互い子供の年齢が同世代であり、子育てに一区切りついたというのも、再会するタイミングだったのでしょう。
私は高校2年の夏から1年間アメリカに留学したので、18歳で帰国した時はみんな高校3年生、大学受験を控えピリピリした雰囲気が今でも鮮明によみがえります。
すっかりアメリカかぶれで、金髪にイケイケハイテンションだった私が、「Hi,みんな久しぶり!」と1年ぶりに教室へ戻った時、受験勉強真っ最中のみんなとは空気が違い過ぎて、ここは私の戻る場所ではない・・・と痛感
そのまま職員室へ行き、「私はまだ高校生活を楽しみたいので、2年生に戻ります。」と宣言。
当時アメリカでの1年間が高校単位として認められたので、3年生に戻るか2年生に編入するか選ぶことができました。
私は2年生に入り、少しでも青春を謳歌したいと決意。というか、あと半年で受験なんて気分にはなれなかったし、そんな能力もありませんでした。
ますは自動車教習所へ通い運転免許証を取得
それから友達と遊ぶ時間を楽しみながらも、医師になりたい夢は叶えたかったので、私なりに遊びと受験勉強を両立させました。とにかく悔いのないよう遊びまくりましたので、全く後悔はございません。
母親には「アメリカに留学して、おかしくなった。」と言われたくらい、真面目な高校生ではなかったと思います。
とにかくやりたくことがたくさんあり過ぎて、思うままに好きなことをやっていたら、高校1年生の時に仲良しだったIさんとは生活のリズムが異なり、疎遠になってしまいました。
留学する時、成田空港まで見送りに来てくれたのに、
留学中は手紙や励ましの音声をカセットテープに録音して送ってくれたのに、
自分のやりたい事ばかり優先していて、Iさんに十分恩返ししなかったことは、今となっては恥ずべきことだと若気の至りを反省しております。
それでも、年賀状だけは毎年出していたのが幸いでした。
若いときは、その若さゆえに、「継続は力なり」という感覚が欠如しており、新しいことやワクワクすることにばかり意識が向きがちでした。人間関係を紡いでいくことの価値を軽視していたという反省があります。
1990年、2000年、2010年、2020年、、、と月日は流れ、ようやく感動の再会
今でも昔の面影を残し、楽しかった留学前の高校時代が一気に蘇ります。
たった1年間ですが、ぎゅっと詰まった濃厚な思い出が、海馬から溶けるように染み出しました。
どちらかと言えば大人しく控えめだけれど、とてもユーモアのあるIさん。
30年間を埋めるように、お互いの歩んで来た道を振りました。
一緒に話す時間は大変心地よく、ああ、友達っていいなぁとしみじみ感じながら、高校時代を懐かしむことができました。
いい友達って、ずっと一緒にいることでもないんだなと。
これからはずっと大切にしたい人です。
幸せな時間をありがとう、Iさん
あなたと出会えて本当に良かった。
子供が成人するまでは、家族の比重がダントツに高く子供に意識が向いていましたが、子供は大きくなりそれぞれの世界に羽ばたいていきます。
そんな今だからこそ、大切な友人との関係を心から大切に継続したいと思う中年麻子でした。