医療法人社団晴栄会
白金ビューティフルエイジングクリニック

03-5791-4800

受付時間 9:00~17:00[月~土]

Blog院長ブログ

生涯現役

北里大学形成外科同門会の勉強会と新年会に参加しました。

久しぶりに大学関連の行事に参加したのですが、若いドクターから退官後の大先生まで幅広く出席していました。

大学はアカデミックで、臨床と研究をバランス良く行うよう指導しているようです。

思考を含め、医師としてレベルアップすることをきちんと教育している様子が伺えました。

若い先生方も落ち着いてしっかりした雰囲気でした。

私のような末端の開業医にとっては、身の引き締まる思いです。

 

驚いたのは、70歳過ぎのシニアドクター先輩方が今でも現役で手術をされていること。

匠の世界です~

戦後生まれの諸先輩方は、若い頃(1970~80年代)、医師として猛烈に修行されており、今でいうパワハラ・ブラックは当たり前の医学界。単なる手術スキルに留まらず、デッサンも学んでいたとか。他にもメカニックなことや、写真、工作など幅広い趣味をお持ちな方が多く、教養も深い。とにかく“仕事好き”な集団なのです。だからこそ生涯現役でお仕事ができるのでしょう。

仕事が好きという空気で満たされていました。

私も美容医療大好きなので(研究は苦手)、とても居心地のよい時間を過ごすことができました。

医者は日曜日だろうが何だろうが、勉強するんです。自己研鑽命。

大先輩は、深夜3時まで仕事をして朝7時に起きるとか、

朝3時半に起きて始発で仕事に行くとか、もうワーカーホリックの極み

でも、好きでやっているから、全く悲壮感がなく、かえって楽しそうに見えるのが美しいとすら思えます。

そして人の役に立っています。

いいなぁ。

匠先生方の足元にも及びませんが、私もまだまだ頑張ろう

四半世紀を振り返る

新年あけましておめでとうございます

 

2025年、21世紀も四半世紀が過ぎがようとしていることに、純粋に驚きます。

私は過去を振り返るのが大好きな性分なので、年末年始休暇を利用して思いっきり振り返ります。

2000年に妊娠して出産した娘は医学部6年生、もうすぐ卒業です。早すぎやろ、、、

医者の世界は育休なんて制度は存在せず(今は知りません)、休む期間など怖くて考えられませんでした。医師のキャリアに空白期間が生ずると、他の医師に後れを取ってしまうという焦りです。早く1人前にならなくては 産後8週で復帰、オペ室に戻りました。

四半世紀過ぎ、もはや男性の育休まで当たり前の世の中へ。

25年前は、出産を機に仕事を辞める女性が多かったのですが、今は女性も辞めない時代となりました。

こちらも大きな変化ですね。

女性も一生働き続けるという前提ですから、出産後の束の間くらい思いっきり子育てさせてくださいよ、ということなのでしょうか。

昔から母は、「子育ては最高の贅沢」と言っていましたが、私にはその意味が分からず仕舞いでした。専業主婦にはご縁がありませんでしたが、有閑マダムを相手に楽しく仕事をしている自分が“いとをかし”、です。子育てを至福と感じる人は、仕事に追われることなく子供に向き合えるような人生が送れる世の中であって欲しいと願います。両親共に仕事とケータイに追われていたら(追いかけていたら?)、子供が可哀そう。

私のようにずっと仕事をしていたい人間にとっては、子供の受け入れ先である保育園やら育児サービスが充実してきたことは喜ばしいことなのではないでしょうか。

 

美容医療業界も変わりました。

25年前に美容外科医になりたい医者はほとんどおらず、ややもすればアウトローのような扱いをされていたと思うのですが、そのような世間体を全く気にしない特異体質が功を奏し、純粋に興味のある美容外科の世界に飛び込むことができました。思い返せば友人誰一人私を阻止することもなく、諦められていたのか、信じてくれたのか?

美容医療を研修させていただいた北里研究所病院美容医学センター長の宇津木龍一先生は、日本で形成外科医として活躍後、アメリカで美容外科を5年間修業して帰国され、美容医療に人生のほとんどを注ぎ込んでいた誠に真摯な医師でした。毎晩深夜まで病院に残り、何やらお仕事されていました。

私がチャラチャラ美容女医にならなかったのも、宇津木先生のお陰と感謝しています。

6年ほど勤務して、2006年に白金ビューティフルエイジングクリニックを開院。

勤務医時代に診ていた患者様が通って下さいましたが、最初は暇の極み。暇すぎてご年配の有閑マダムと1時間ほど雑談出来たことも、私にとって学びであり、意味のあることだったのだと今になって思います。

1日1人、2人という時もあり、どうしたら予約が埋まるものだろうかと試行錯誤しながら、スタッフと共に出来ることをコツコツ積み重ねました。それなのに!2008年リーマンショック、2011年東日本大震災と続き、なかなか思うように増えません

アベノミクスによる金融緩和が始まった2013年頃からようやく患者数が増え始めました。ぐぐぐーっと増えましたので、部屋を増やして拡張したのが2016年、10周年のことです。

2012年~2019年は勢いがあって楽しかった40代。海外へ社員旅行に行けたことも奇跡のようです。ボトックスやヒアルロン酸の勉強で海外に出かけることもありました。(年末SNSで炎上していた)海外での解剖実習にも参加しました。

一方プライベートでは、息子の反抗期にも漏れなく遭遇し、クソばばあの焼夷弾を浴びせられながら、どん底メンタルも経験しました。時期を同じくして母親の病気が発症、娘の大学入試と重なり、プライベート三重苦

それでも仕事の業績は伸び続け、こんなに頑張ってやり続けるのも疲れたな~と慢心していたらまさかのコロナ禍

何を目標に、何のために働いているのか?スタッフの幸せってなんだろう?私は何ができるのか?と考え続けた日々。

コロナは我々の心に爪痕を残しながら過ぎ去って行きました。

 

振り返るとごちゃごちゃいろいろなことがありましたが、それでも目の前の患者さんをキレイにする仕事を淡々と続けたお陰で、臨床経験と患者様との信頼関係だけは積みあがりました。これは私にとって最強の資産形成でした。NISAはまだ始めていませんが、、、

20~30代の若い美容外科・美容皮膚科医は増えているようですが、私のようなお婆医は少数派ですから、これまでの知見を活かして、中高年の健全な美容医療に貢献できたら幸いです。

 

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

2025年1月5日 自宅にて

 

逗子研修

久しぶりの院外研修、逗子へ行きました

美容クリニックなのに海かい!!と突っ込まれそうですが、自然と触れ合うのが今回の目的です。

日々の診療ばかりに追われてしまうと、大切なことを見失いがちです

あえて時間を作り、スタッフ全員と共に過ごす時間を作ることは、信頼関係を築くためにも必要な行事だと思います。

曇天で良かった~

海に入りながら、自然と対話していると、自然から声が聞こえてきます。

都会にいると、自分の脳だけであれこれ考え過ぎてしまうのが問題らしく、自然に心を開いていると、自然が答えてくれるのです。

波は大きくなったり小さくなったりしながら、ただただ繰り返し押し寄せます。

砂は波に巻き込まれながら浜辺を彷徨います。

風は自由に移動し、人々に心地よさを与えたり、時には災害をもたらすこともあるでしょう。

対岸に見える木々は、ただそこに立ち、風に揺られて、光合成。

雲は太陽の強い日差しから私たちを守ってくれたり、雨を降らせて恵をもたらします。

自然界の存在は、ただそこにいて、その役割をずっとずっと繰り返しています。

風のようにダイナミックに動く役割もあれば、木々のように同じ場所に居続ける不動な植物もいます。砂粒のようにその他大勢と共調して存在するものもいます。

色々な役割は、大地という大きな環境の中で定められているものであり、そこに意志などなく、ただただ役割を果たすのみなのではないだろうか?

人間も自然の一員なら同じことではないでしょうか。

大地や宇宙という大きな歯車の中で生かされているだけで、それぞれの場所で割り当てられた役割をきちんと果たせばそれで良いのはないでしょうか。

人間の意志で自然を壊すようなことをするから、色々な問題が吹き荒れてしまうのだろう。

自我溢れるこの世界。

戦前の「お国の為なら~」思想に反発するように、戦後エスカレートした個人主義がやや行き過ぎて、私利私欲万歳もどうかと思いますね。

無我になりたい。

そのような思いに耽ることができました。

自然さん、たくさんの気付きをありがとう。

 

 

 

 

心の良い人

今年は、学ぶ時間を確保し、2つの勉強会に参加しています。

1つは経営セミナー。

もう1つは心の學門。

後者で学んだことを少しご紹介しましょう。

 

「経済活動は精神を磨くためにやるものだ。最高の人格者になるためだ。経営者になって従業員とお客を救え。」

そうか、そうだったのか!

クリニックを経営している限りは、どうしても付きまとう金勘定。

お金は大事だけれど、お金の為に働くのは何か違う感じがする。

一体何のために働いているのだろう、、、

ここ数年、心にかかったモヤが急に晴れ渡ったような感覚になりました。

そしてもう一つ。

「肉体を鍛えたり、頭をよくすることより、豊かな人間性を養い、“心の良い人”を数多く育成することの方がはるかに大切なこと」

こちらもしびれました

肉体労働はロボットや機械が、頭脳はAIが代行してくれる時代となるからです。

お肌の透明感も大切ですが、心の透明感にこそ美の本質が宿ると考えます。

自分のやってきたことが肯定されたようで、胸の中がさわやかミントで満たされた気分です。

 

自分の専門である美容医療を通して、素肌を健康に保つことでいい気持ちになれる人・優しい人を増やせたらいいなぁ。

 

 

 

父、永眠。

9月9日、父が永眠しました。

昨日通夜、本日葬儀を無事終えることができました。

つきましては予約変更をお願いすることとなった患者様には大変ご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません。

 

約2年前に脳梗塞を発症し、失語症となり、いろいろ不自由な体になりながらも、2年間頑張りました。

いえ、頑張ったかどうかは不明です。

「何もやることがない(できない)。もう死ぬしかない。」と度々口にするほどの絶望感だったかもしれません。

脳に広範囲のダメージを負ったことが原因で、健常人が当たり前に行うことが出来なくなるのですから、相当なストレスではなかったのではないかと想像します。

 

2022年12月退院後、一人暮らしが困難になり、2023年1月には説得してサービス付き高齢者住宅に入居してもらいました。

そこでの生活に慣れるまでにも3か月くらいかかりましたが、2023年4月ごろからだんだん精神が落ち着いてきたようで、友人に会ったり、演歌のコンサートに行ったり、野球観戦したり、それなりに暮らしを楽しもうとしていた様子でした。病気直後は、私や兄に連日「助けてくれー!」と悲痛の叫び電話がかかってきていたのですが、その頻度が減りホッとしたものです。

2023年5月には、親戚のいる名古屋まで足を延ばし、父の両親の法要にも参加することができました。

2023年8月、コロナに感染し入院。重症には至らず、1週間ほどで退院できましたが、これが引き金で肺が悪化したような気がします。

2023年11月から誤嚥性肺炎を繰り返すようになりました。

2024年3月下旬、とうとうファイナルステージ。介護付き老人ホームへ移りました。

2024年8月、再び誤嚥性肺炎で入院。CT検査ではすでに肺がボロボロになっており、これ以上延命処置をしても苦しむだけだと終末期宣告。

「退院=死」が差し迫った状況の中で、父を退院させる決断をした時は、死刑宣告をする裁判官と同じような気分なのかしらと想像したものです。親といえども他人の命を決めることの責任が重く重くのしかかります。

9月6日退院後、老人ホームに戻りました。案の定、2日後に意識を失いました。

駆け付けた時は意識不明でしたが、数時間後奇跡的に意識が戻り、声を出すことは叶わなかったものの、話しかけると目を開けて反応してくれました。

私の家族、兄夫婦、病気の母も駆け付け、一緒に過ごした最期の時間は実に尊いものでした。

最後の2日間、最後の力を振り絞って、私たちの声掛けに反応してくれたし、時々ニコリと笑顔も見せてくれました。

血中酸素濃度が低下したため、苦悶の表情でした。何度も何度も酸素マスクを自分で外そうと抵抗していた様子を見ると、やはり苦しそうで可哀そう。人の命はそう簡単に消えないものです。

38時間30分も苦しそうな呼吸を続け、やっと安らかに息を引き取りました。その瞬間、心のどこかで正直安堵したものです。

 

親が病気になると、子供はいろいろな決断をしなくてはなりません。

仕事で鍛えられていますので、決断することには慣れていますし、父のことだけでなく家族みんなのことを考えて判断し行動してきたつもりです。しかし、父にとって最善だったかどうかは今でも分かりません。

父はずっと自由で、遊び人で、人にあれこれ指図されるのが大嫌いだった人ですから、老人ホームなどもはや洞窟の暗闇にいるような状況だったのかもしれません。いつも友達に囲まれ、ワイワイするのが大好きだった人なので、寂しかったのだと思います。

「何にもやることないから、遊びに連れ出してよ。」と何度も何度も催促されましたが、私にも私の人生がありますので、毎日父の相手は出来ません。自分自身の精神状態を保ちながら、出来る限り面会に行ったり、食事に連れ出したと思うのですが、父にとっては不足だったのでしょう。

何となく死期を察した8月下旬から、ほとんど毎日仕事帰りに父の病室を訪れました。

コロナが明けて、病院の面会時間が19時までになったことも有難く、穏やかに話すことができ、幸せを感じました。

やるべきことはやり切りました。悔いなしです。

 

何の因果か、美容医療の認知度が極めて乏しかった頃から美容外科の道を志し、アンチエイジング専門の美容医療に携わること24年。私が美容医療で少しでも患者さんのお役に立てている(?)のも、両親が私を産み育ててくれたからです。ご先祖様への感謝の念が堪えません。

父をしっかり供養することこそ、子としての務めであり、自分自身の成長になると改めて考えさせられた数日間でした。

 

通夜と葬儀に参加して下さった親戚とご友人の皆様、

父のお世話をして下さった老人ホームの皆様、

入院中優しく看病して下さった病院の先生と看護師さん、

最期のセレモニーを滞りなく運営して下さった葬祭センターの皆様、

良き関係者に恵まれました。心よりお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天命を知る

激烈な酷暑の到来

脇汗が気になる季節です。皆様、エチケットボトックスはお済でしょうか?

子供の頃はここまで暑くなかったものの、何故かこの時期になると「短縮授業」というのを思い出します。

確か10分程度授業が短くなって、下校時間も早まるのですよね。

夏休みが近づき、ワクワクした時期でした。

放課後は何をしていたのでしょうか。外で遊んでいたのか室内だったか、、、

 

10年以上前に旅行したベトナムでは、成人男性が何故か道端に座り込み、ダラダラ過ごす風景が異様に感じたことを思い出します。女性はせっせと働いているのに。

この地球温暖化は、人間に活動させないようにしている神の思し召しなのかもしれません。

ベトナム男性には、それが分かっていたのかも

エネルギーの無駄遣いをしているのは、先進国の富裕層ですからね。

「木を伐採し、砂漠化させる愚か者よ。お前たちも自然に生かされていることを忘れてはならないのだ。」

東京の再開発には憤りを感じており、是が非でも神宮前の再開発を阻止したいという願いを込めて、東京都知事選に臨みましたが、小池氏の圧勝。

あ~あ~あ~

 

7月、また一つ歳を重ねました。

 

50代、天命を知る。

その意味の理解が深まってきています。

人間は世代や立場ごとに、やるべきことと役割があります。

その責任をきちんと果たすことを意識しています。

仕事では相変わらず、院長としての「戦略的意思決定」が私の責任です。

次世代を担う若者が活躍できるようサポートするのも、私のやるべきことなのかなと思えます。

そして、身近な人と良好な関係を保つための努力でしょうか。

昨年のブログを読み返すと、「お礼」について書いていましたが、十分に出来たかというと、、、

今年も礼を尽くすよう努力します。

 

 

教育格差と感動体験

「日本では子供の8人に1人が相対的貧困に直面している。

家庭の経済的な事情による教育環境の格差が大きく影響する。」

貧困により、教育格差が生じ、将来の選択肢が狭まり、視野も行動力も狭まるということです。

そこでソニーグループ元社長の平井一夫氏は、感受性が豊かな子供時代に、心から感動するような体験を提供する「プロジェクト希望」を設立。運営資金は100%個人資金。公的資金では使途に制約もあり、思い切った試みが出来ないからだとか。

以上日経新聞より。う~む、素晴らしい。

 

子供時代の感動体験は、人間形成に大きくプラスに影響すると、私も強く共感。

「経験値を高める」は、我が家の教育指針の一つでもありました。

「プライスレスな経験を」「モノより思い出」も我が家の家訓であります。

 

さらに思うことは、家族や友人、恋人などを通した良い人間関係というのも、人生の質を高める上では欠かせない感動体験だということ。

若い頃の友人や恋人は、一時の関係で終わってしまうこともあります。

しかし、その人たちが大好きで、青春時代を共に過ごした思い出というのは、まさに感動体験そのものです。

「特に恋愛というゲームの場では、ひとは自己と他者についてとことん学ぶ」by 上野千鶴子

若者よ、もっと恋愛せよ、と言いたい。

エネルギー溢れるあまり、恋は盲目であり、お互い傷つけ合いながらも、成長していきます。

 

恋人と別れたら、元カレに関わる品々を全処分してしまう友人もいますが、物品を処分したところで思い出まで消去できるものなのでしょうか。

精神がひりつくような痛みを覚える経験をしたことも、今となっては自分自身の血となり肉となり、嫌な思い出すら懐かしめるようになっているのは、傷の程度が浅いのか、私の神経が図太いのか。

あまり過酷な経験をしてこなかったと言えば嘘になるような気もするのですが、他者に対するリスペクトがねじ曲げられるほどの劣悪な経験というものをしてこなかったことは、たまたまラッキーだったのかよく分かりません。

セクハラをされた記憶がないくらいなので、本当に鈍感なのか、メンタルが強靭なのか。

 

大切な思い出は骨の髄に染み込んでいます。

切り離して消去、なんて出来ません。

保存された多種多様な体験の保存フォルダが、その後の人生を豊かにしてくれたような気がします。

私というコンピューターは、だいぶメモリーが埋まってきているので、やはり一部消去は必要なのでしょうか?

いえいえ、アップグレードして、メモリーを拡張します

 

 

 

 

 

 

 

整理整頓

「50代になって1年が経ち、以前よりなにもかもが捗らなくなったと感じ、怖くなる」

日経新聞のエッセイを読んでいたら、このような1文が私の心に刺さった。

そうそう!これ、まさに私の心境

自分の思いが明確に言語化された文字に触れると、何だか嬉しい。

最後の「怖くなる」はちょっと違うかな。

 

最近、提出物や振り込みなどをうっかり忘れることがあり、マメにメモを取るようにしている。

朝、やるべきことを携帯にメモして出勤。

クリニックに電子カルテのようなものがあるので、自分のカルテにやるべきことをリストアップ。終えたら『済』マークを付ける。

提出すべき書類などは、後回しにせずどんどん片づける。

重要書類はファイリングして保存。

紙の書類も、PC書類も、さっさと整理整頓。

後で探す労力を考えたら、最初から整理した方が間違いない。

年々家のモノが増えるように、書類もどんどん増えまくる。

定期的に破棄しないと。

 

今年は家の中をもっと整理整頓して快適に過ごしたい。

それから、自分の財産をリストアップして、万が一の時に備えたいと思う。

終活ではないけれど、残された人が困らないように、身辺整理をしておきたいと思うようになった。

 

事務仕事にはいささか非効率さを感じていたが、日々の診療に関して捗らなくなったと感じることは一切ない。

毎日同じことを繰り返していると、無意識レベルで出来るような気がする。

自分の持てる経験と知識と技術を総動員して、患者さんの素肌に磨きをかけるお手伝いが出来たらこの上なく嬉しい。

人間の能力にはcapacityがあるので、脳内にも少し余白を持たせるよう整理整頓しておきたい。

インプットしなくてもいいような情報は右から左に流すとしましょうか。

 

 

 

総おひとり様社会

2020年の国勢調査では、単独世帯が一般世帯の38%を占めたとのこと。

東京都に限ると50%を超えている。

夫婦と子供2人という旧モデル世帯は1割を切る。

3世代同居は4.1%。

※日本経済新聞より

 

1人は気ままでいい。

私は50年間、いつも誰かと一緒に暮らしていたし、ずっと仕事をしていたから、1人でいられる時間などほとんどなかった。

子育てが終わり、1人で過ごす時間が断然増えた。

時々家族と過ごす時間は大切だし愛おしいと思うが、ひとり時間の快適さは捨てがたい。

長年1人暮らしを続けている人たちが、「他人と一緒に暮らすなんて無理」と口を揃えるのも理解できる。

適度な繋がりを感じながらも自由でいたいと思ってしまう。

まぁ、要するに、私はわがままな人間だと思う。

社会(社会って誰?)が個人主義を目指し、民意がそれを許容した。

個人の権利主張が強くなった。

これは欧米社会を模倣したからに他ならないが、表面的な制度だけを輸入し、魂が伴っていないからおかしなことになっている。

もともと日本人は控えめで謙虚で、空気を読み、周囲に合わせることが得意だし、善しとする文化だ。

個人の権利より、公の利益を優先してきた国だ。

この同調圧力は、コロナ禍で露になった出来事である。ある意味恐ろしかった。

私も若いころはアメリカ留学なんてしたものだから、そういう日本の堅苦しい習慣を毛嫌いしたものだ。

しかし、長く生きて、いろいろ経験し学んでいくうちに、日本の歴史、文化、精神性というものの成り立ちを知ると、張りぼてのような制度設計には無理があると思う。

日本人らしさという大和魂を無視しては上手くいかない。

 

80代の知人が現役で働いていた1980年代頃、彼女の会社では連休取得は4日間が限界だったという。

1週間も取れる雰囲気ではなかったし、皆もそんなものだと思っていたという。

4日間の短い海外旅行にたくさんのOLさん達が参加していたそうだ。2泊4日の旅??

私が研修医として働いていた90年代も、夏休みは1週間もなかったし、有休休暇という概念すらなかった。これは医師という属性だったからかもしれない。

真面目にコツコツ働くことが美徳であり、自分の出来ることが増えると純粋に嬉しかった。

休みもなく働くことがカッコ良かったから、睡眠時間を削って仕事した。

それでも夢と未来があったから苦にならなかった。

20年以上経った今、働き方は大きく変わった。

有休や育休取得を推奨し、残業を減らすことが良いとされる空気を感じる。

労働時間は1996年に1915時間、2021年は1651時間へ減少。

ところが日本国民1人あたりの労働生産性は1996年からほぼ横ばいとのこと。

米国は2.5倍、英国は2倍に増加しているのと比べると、停滞感を実感する。

労働時間は減ったけれど、仕事の成果も減ってしまったということ。

働き方改革は何か間違っているのだと思う。

真面目にコツコツ、人のためになる仕事をしている人が報われる社会であって欲しい。

 

 

さて、権利主張の激しい個人主義社会を模倣した日本。

核家族化が進み、とうとうひとり暮らしがスタンダードになった社会。

ひとり暮らしの高齢者をどうやって支えていくかが大きな課題である。

自由には責任と義務が伴うという原理原則を忘れてはならない。

人はひとりで生きていくことなどできず、家庭や学校、会社という社会の枠組みの中でたくさんの人たちの助けを借りている。

謙虚で驕らず、感謝の気持ちを忘れない。

そして「忠恕」の心で、志欲を持って生きていたい。

 

 

 

渇愛と志欲

「渇愛」という仏教用語があります。

食欲、睡眠欲、性欲、物欲、承認欲求などは、人体の穴(目、耳、鼻、口、肛門など)を満たす快楽。

GIVE and TAKEのTAKEによって得られる満足です。

渇愛という人間の欲望は際限がなく、何か満たされると、またその先を求めて、、、を繰り返してしまいます。

 

渇愛の分かりやすい例が、お金という欲でしょう。

収入は上を見ればキリがありません。

1000万、5000万、1億、5億、10億、いくらあれば安心するのでしょうか。

ハイブランド商品や宝石、高級車、クルーザー、別荘、自家用ジェット。

最近は宇宙旅行でしょうか。

我々人類はどこへ向かっているのでしょうか。

資本主義欲望まみれの世の中では「もっと売って、もっと利益を上げて」が当たり前の目標になっているから、人間はどんどんエネルギーを消費して、環境破壊を続けています。

環境意識の高い方が、「地球は死にませんよ。死ぬのは私たちです。」とお話されていました。

ドキッとしました。

地球に優しいとか言っている場合ではなく、我々人類が生きられなくなってしまうというダイレクトな表現は胸に刺さります。

 

「美容欲求」も渇愛だと思います。

もっときれいに、もっと美しくなりたいループにハマる人がいます。

これは虚しく、いつまでたっても満たされない永遠のラットレース。

渇愛的美容は不健全ですし、多くを求め、過剰な美容医療を受けても顔は張りぼて、美しい生き方と思えません。

どこかで「まあ、こんなものか」と割り切りながら、ほどほどに持続可能なメンテナンスをしている人は健全な精神の持ち主ですし、きれいでいることがQOLを高め、人生の本質部分に貢献できれば、それは丁度よい美容欲求だと言えるでしょう。

美容医療に携わっていると、自分のやっている仕事は、視覚的客観的に肌を美しく清潔に整えるということが使命であり大前提なのですが、その人の心が美しく整うように美肌治療をしているような感覚があります。

私自身が身に付けた美容医療のスキルや考え方を通して、人としての生き方を見つめ直し、自分も社会もより良くしたいという志の方々が増えたらいいなぁと思っています。

 

渇愛の虚しさに気付いたのは40代半ば頃でしょうか。

知足できたことは良かったのですが、人生の目標を見失った気分になりました。

欲が無ければ成長が止まってしまうかもしれないという漠然とした焦燥感から、本心では願ってもいない目標設定をすることもありましたが、何かおかしいといつも心の中に小さなしこりを感じていました。

お釈迦様は、「志欲を満たしなさい」と言います。

志欲とは、自分の持てる能力を人のために活かすということです。

GIVE and TAKEのGIVEによって得られる満足ですね。

何を与えることができるのか?については、個人個人の得意なことによって個性があっていいのです。

今年はクリニックの人事制度を作成するために、動画で学習を続けているのですが、その動画の中で、繰り返し出てくる言葉を紹介します。

「相手はどんな人で何を求めているのか。相手のために何ができるのか。」

これはまさに志欲ではないでしょうか。

私自身は、まだまだ志欲ばかりではなく、恥ずかしながら少しは渇愛も残っています。

若い頃は100だった渇愛も、今は10くらいに減りました。

減った90が全て志欲になっているかというと、そんなことでもないような気がします。

これからは、相手のために何ができるのか?を真剣に考えながら、自分の持てる力を惜しみなく他人に降り注げるような人間になりたいと本気で考えるようになりました。

今まで学んできたことを掛け合わせて、世のため人のために自分の力を使える人に成長したいと思います。

35歳で悟りを開いたお釈迦様の教えは、2600年経っても色褪せず、人生の本質を捉えていることに畏敬の念を抱きます。

 

 

 

HOME > 院長ブログ > 人生について