医療法人社団晴栄会
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結婚式

随分久し振りに、親戚の結婚式に参列しました。

甥が27歳で結婚、おめでとうございます

我が子が結婚するイメージを勝手に膨らませながら、涙腺が崩壊しそうになりつつ、珍しく塗ったマスカラでパンダになってはならないという冷静さが際どく勝利。ぐっと堪えて平常心を保ちました。

50人くらいのコンパクトな披露宴で、会社関係の人も少なく、形骸化した上司のスピーチ連発ということもなく、ほのぼのとしたお祝いでした。そういえば、恒例友人の芸というのもありませんでしたね。

最近は、同居⇒入籍⇒(結婚式)という順番がトレンドだとか。

結婚式は恥ずかしいし、お金もかかるし、やらないというのも合理的なのでしょうね。

 

小さい頃はうるさくて落ち着きがなく、親戚の大人をイラっとさせた甥が、素敵な女性と恋愛結婚に至りました。

晩婚化・未婚化と叫ばれるこのご時世に、何とも喜ばしい限りです。

結婚は賛否両論ありますが、私は自分自身が結婚して、たくさん苦労も経験しつつ、喜びの方が100倍返しだと感じていますので、結婚はチャレンジする価値が大いにありと思っています。

25歳研修医の時の出来事。黄昏時の病室で、担当した50代女性が「私は仕事で成功した。けれど子供を産まなかったことだけは後悔している。」と語った時、子供嫌いの私の心に何か変化が起きました。

今となってはこの女性に感謝してもしきれません。

それ以来、若い人には「生理的嫌悪感さえなければ付き合ってみればいい」と伝えています。

自分の自由がなくなるからとか、お金がないからとか、結婚しない理由をあれこれ並べる人もいますが、結婚や子育てを通して人はグンと成長する可能性があります。この経験値は侮れません。

上手くいかない時もあります。

我慢が必要なこともたくさんあります。

家族喧嘩で落ち込むこともあります。

人知れず涙することもあります。

山あり谷ありですが、やはり喜び100倍です。

 

若い人たちが、普通に胸キュン恋愛を楽しんで、一緒に暮らせるような社会だと夢があるのではないでしょうか。

家庭を持つことに憧れるような社会にしていくために、私たち大人ができることは何でしょうか。やはり、子供たちが憧れるような家庭を親が見せることではないでしょうか。そう、大人が楽しんでいないと。

いい恋愛をたくさん楽しんで欲しいと思います。

20代の愛すべき対象は「男性」でしたが、30代になり「子供」へシフト、40代半ばからは「犬」へ・・・

50代以降は「生き物」、いわゆる人類愛・動物愛・植物愛へと広がりそうです

 

 

暇と疲労のあいだ

最近、両親の健康状態が安定してきたことで、両親を気に掛ける時間が減ったために「暇」になりました。

人間は暇に耐えられないようで、何か暇つぶしをしようと予定を詰め込む性のようです。

しかし、その暇つぶしが結構退屈だったりすることもしばしば。

学会中のつまらない講演(私の理解力欠如によるもの)など、その最たるものだと思います。くだらないテレビ番組を観た後なども、ひどく後悔します。

 

さて、「暇」を退屈することなく埋めるべく、まずは買い込んでいた本に取り掛かります。

読書時間を確保すると、自分の脳がアップグレードしているような感覚があり、この上ない充実感を味わうのですが、ずっと読書ばかりするのも飽きてしまうし体も鈍るので、知人と会う予定を入れたり、先週は麻で「しめ縄」を編むワークショップに参加し、心豊かな時間を過ごせて大変満足でした。

またユーミンのコンサートに武道館へ出かけ、69歳ユーミンに刺激され、私も69歳まで頑張ろうと勇気を貰いました。※特別ユーミンのファンではございません。

それでもまだ暇だから、同級生の教授就任パーティーに出席してみたり、スタッフと食事会をしたりetc.

こうやって暇をガンガン埋めていくと、どーっと疲れが出てしまい、ウルトラマンのタイマーがピコピコ点滅。エネルギーを温存するべく、少々減速してゆっくり過ごそうとスケジュールを空けてみます。

そしてまた「暇」になって、予定を入れては「疲労」して、、、の繰り返しです。

診療も然り。

無理やり予約を入れ込むと、2~3日くらい続いたらヘトヘトです。

時々キャンセルが出て埋まらない時間が発生すると、その「暇」に精神が耐えられなく、またもや予約を入れ込んで「疲労」していくことの繰り返しです。私たちは本当に「暇」が苦手のようです。

 

子育てをしていた頃は「暇」など考える余裕もなく、忙しく充実した日々を過ごしていました。

子育てをしていた頃が一番幸せだったという女性が多いことに共感できます。

思い返せば、子育てとは最大の「暇つぶし」であったことに気づきます。

渦中にいると、「早く子供が大きくなって、自由な時間が欲しいわ」などど言いながら、最高の暇つぶしに気づくことができませんでした。朝の旗振り当番やPTAのお仕事、お祭りのパトロール、サッカー当番などやりたくもない仕事を無報酬で分担することが本当に苦痛で、「私はもっと仕事に集中したいのにぃぃぃ」と本気で悩んだこともありました。余裕がなかったのです、以前の私。

当時の私に声を掛けてあげたい。「そんな時期はあっという間に終わるよ」と。

そこにかけていたエネルギーがごっそり有り余る今、「暇」と「疲労」のあいだを行ったり来たり。

凡人の私には、有り余ったエネルギーを全て仕事に注ぎ込むほどの意気込みも能力もありませんので、チョロチョロ余暇活動を楽しみながら暇を埋めている次第です。

そして何と言っても、仕事こそ最高の「暇つぶし」です。

美容医療は人の役に立てている実感が得られます。

元気な限り、仕事は決して手放しません

寄る年波の変化を感じつつ、暇と疲労のあいだを行ったり来たりしながら、日々楽しむことといたします。

 

 

あっという間について考える

早いものでもう10月。

「今年もあっという間に終わりそうですね。早すぎて怖いです云々」

同じような会話を繰り返す自分が嫌になるほど、本当に早い。。。

 

長いお付き合いの患者様は、60歳、70歳、80歳になり。

この間生まれた孫が大学生になっていたり。

高校生だった娘さんが結婚して子供が産まれたとか。

親御さんやご主人が天に召されたり。

愛犬を看取って悲しんだり。

定年退職して地方へ移住したり。

自宅を処分して老人ホームへ引っ越したり。

子供と二世帯住宅を建てたり。

親の相続で華麗なる争族。

結婚したり、離婚したり、再婚したり。

ご主人の転勤で海外赴任したり、戻って来たり。

出世したり、転職したり。

子供が不登校になったり、留学したり。

 

皆様のライフイベントに触れ、

一緒に喜んだり、涙ぐんだり。

 

暮らしの変化をこうして並べると、

圧倒的に家族関係のことが多いことに気付く。

みんな、色々辛いことや悩みを抱えて生きている。

いつも笑顔で幸せそうな人でも、

人知れず問題を抱えていることは結構多い気がする。

 

若い頃、夜な夜な恋バナで熱くなっていた頃が懐かしい。

鳴かぬ蛍が身を焦がす、なんて感情は、どこへ忘れてきたのやら。

貴方なしでは生きていけない、なんて言ってみたいものだ。

 

60代後半の女性が言っていた。

「50歳からはアッと言う間よ、本当に早いんだから。」

やり残したことはないけれど、もう少し仕事を頑張りながら、人格を磨いていたい。

精神的にはまだまだ乗り越えなければならない壁はある。

100歳まで元気で生きていたい。

去年から始めたジャズダンスの振り付けがなかなか覚えられず、劣等感を味わっている。

認知の衰えを予防するには仕事しかないと思う。

私にとって最高のアンチエイジングは、間違いなく診療だ。働き続けること。

医師免許は自主返納も強制返納もないから怖い。

怪しくなったら、子供に取り上げてもらうことにしようかな。

 

あっという間なんてことはなかった。

いろいろあるものだ。

思い出に浸るだけでも結構楽しいものだ。

お礼を伝えるということ

今年も無事誕生日を迎えました。

中高年になると、「また歳を取っちゃったわ。誕生日なんて嬉しくないわよ~」という言葉が急増するようになり、形骸化した「お誕生日おめでとうございます」というフレーズにずっと違和感を感じていました。

何というお祝いの言葉を伝えればいいのだろうか、と代替案を考え続けていました。

そういう私も50歳を過ぎ、ここ数年、「誕生日なんて嬉しくないわよ~」とささくれ立つ気持ちがあり、お祝いされても気恥ずかしさが先だってしまうくらいでした。

しかし、今年は心の棘が抜け、まろやかさを感じています。

今までご縁のあった方々のお陰で、今の私が在ると思えます。

いい人ばかりでなく、時には衝突したり、ご縁がなくなってしまう方々も含め、彼らとの経験全てが今の私を形成しているのだということを思えば、通り過ぎた人たち全員が私の恩師でもあるのだと、しみじみ思えるようになりました。

感謝です。

 

誕生日やクリニックの周年、そして年末年始は人生の節目。

物事を振り返り、これからの人生や暮らし、仕事、社会について深く考えています。

今年の誕生日に考えたことは、「お礼」について。

私はお礼の表現が上手ではありません。

苦手ではないのですが、自分の理想形から“far behind”です。

お世話になった人に、もっともっと感謝と愛を表現をしたい気持ちは溢れ出てくるのに、それが上手に表現できません イメージとしてはまさに氷山の一角程度の表現です。

照れくさいのもありますが、余計なことかな?と思われるのではないかと考え過ぎてしまう傾向があります。

何か贈り物をしたいと思い、夜な夜なネットで「あーでもない、こーでもない」と探しながら、疲れるパターン。

「ま、いいか。明日やろう」と先延ばしにして、タイミングを逸するという悪循環。

どんどん行動に移さないと後悔ばかりが溜まってしまいます。

まさに“お礼負債”

愛情循環不全。

私自身がモノに対する執着がないので、どうしても“モノ”を贈るのが苦手です。

苦痛過ぎて、「旅行の定番お土産は買いませんからね」とスタッフに伝えているくらいです。

まずは、お礼の気持ちを言葉で表現したり、メッセージカードなど利用して、とにかくアウトプットする!

自分の寿命を10年と設定して、今やらなければ次はない!という覚悟で取り組みます。

それがスマートにできる人になりたいと思い、誕生祝いをしてくれたスタッフに宣言しました。

 

誕生日には、毎年スタッフや家族、友人らが集まってくれます。

共に時間を過ごしてくれるだけでも、本当に有難いことです。

人はひとりでは生きられません。

皆との関係の中で生かされていると思うと、今までに関わった人たち全て に感謝したいと思えるようになりました。

 

誕生日にお祝いしてもらうのは子供の習慣。

大人になったら、誕生日はお祝いされる日ではなく、自分から周りの人にお礼を伝える日だと思えたことが最大の収穫でした。

 

 

 

幸福は美の根源

日々、患者様との会話を通して、人間としての生き方の本質を考えるようにしています。

美容皮膚科の診療で得られる情報は、まるで文学作品のよう

小説のようなストーリーに耳を傾ける時間は、実に面白い。

子供の頃、あまり本を読まず、外で遊んでばかりいた体育会系文学コンプレックスの私ですが、仕事を通じて様々な人のモノの見方、考え方に触れることが出来るのはこの上ない財産だと感じています。

 

幸せそうな女性が、どのような環境に育って、どのような暮らしをしているか?気になりませんか?

美容医療を提供している身として言わせていただきますと、『幸せそうな笑顔』こそが美の根源だと本気で思っています。即ち、心持ちです。

だからこそ、幸せそうな人に対して、私なりにヒアリングをして分析しています。※全く学術的ではないので、個人のバイアスがかかっているかもしれません。悪しからず。

 

今まで一貫して言い続けていたのが、「夫婦仲がいい人」でした。

今日はさらに一歩踏み込んで考えてみます。

自由に伸び伸び、幸せそうに暮らしている女性は、ズバリご主人が「できる男」なんですよね。。。

妻が楽しそうに暮らしていることを喜びと感じるから、妻の夢が叶うよう協力します。

協力というのは、金銭的なフォローだけでなく、家庭運営にも積極的に取り組むことを意味します。

そう、できる男は仕事もできるし(お金も稼ぐし)、自立して家のことも卒なくこなしているのです。

何て素敵な男たちなのでしょうか

少数だと思いますが、実際に存在するのです、このようないい男たち・・・

また、こういうできる男は気持ちにゆとりがあるのでしょうか、決して妻を束縛しません。

「君が望むことなら好きにすればいいさ」ってな具合ですよ、本当に。

そして妻も、そういう夫への感謝の気持ちを忘れません。謙虚です。

こういう男性を惹きつけられる、愛されキャラの女性って、いったいどんな魅力があるのでしょうか。

きっと惜しげもなく愛を与えられる女性なんだろうなぁ。

このようにお互いを尊重し、いい関係を保っているのでしょう。

1回だけの人生で、このような素敵な伴侶と巡り合える人は、本当に運が良いとしか言いようがありません。

運も実力?前世の行いが良かったのでしょうか?

 

私が結婚して間もない頃、仕事と子育てで忙しくて、心の余裕がなかった時のこと。

居酒屋で何気に夫の愚痴を漏らしていたら、恩師の宇津木先生から、

「配偶者を幸せに出来なくてどうする」と叱咤激励されたことを今でも覚えています。

これって普通、男性に投げかける言葉だと思っていたので、女性である私に言われたものですからびっくり仰天でした。

でも、何だか嬉しくて、「ああ、そうか。自分で選んだ伴侶なんだから大切にしないといけないんだ。」と素直に思えたのは、まだ若かったからでしょうか。あれから20年経ちますが、私が夫を幸せに出来ているかどうかは不明です

 

あまり男だ女だと、役割分担を決めず、相手を思い、出来ることは出し惜しみせずやる!愛を与える!

夫婦に限らず、家族、友人、職場での人間関係にも応用できることだと思います。

与える喜びを感じられる人が増えたら、この世の中は幸せに満ち溢れ、美しい人が増えることでしょう。

 

人生リレー

久し振りのご来光です

 

熱海付近からの日の出です。

大自然に触れると、心に酸味を感じます。高校時代に1年間オレゴン州で暮らした経験があり、360度自然に囲まれた(建物がない!)甘酸っぱい感覚が蘇ります。

毎日自然の中で暮らしている人々にとっては日常の風景でしょうが、コンクリートジャングル東京で暮らす私たちは、時間とお金をかけて自然を求めに出かけます。旅先ではいろんな人が暮らしており、様々な人生があります。その時間の流れを思うと、自分の生きている箱(社会)がいかに小さいかと気づかされ、もっともっと広い視野で生きていたい、、、などと断線しかかっているにも関わらず混線している脳内配線が整理されるような感覚になります。

 

12月中旬にもなると、目黒川沿いの樹々も落葉が進み、風に舞う落ち葉は人生の終盤に差し掛かった年老いた親を連想させます。

一方、「花金だぁ!」と朝帰りする若者や、ベビーカーに座るお肌ぴかぴかの赤ちゃんには、これからの無限の可能性と輝かしい未来が重なります。

私たちは太古の昔から、命のリレーをしてきたのではないでしょうか。

老いから若きへバトンタッチが脈々と続けられたからこそ、今の私たちが存在します。

現代は寿命が延びたので、400mリレーというより駅伝でしょうか。

しかも、建物、車、電車、信号、人混み、スマホなど障害物が多くて、走るのも容易ではありません

減速するか(仕事を減らす)障害物を減らすか(社会の仕組みをシンプルにする)しないと、息切れして脱落しちゃいそうです。

自分自身の駅伝区間も後半戦に突入したので、次世代にバトンを渡すまでは省エネで走り続けようと思います。

なるべく平坦な道を探し、時にはちょっと坂道を駆け抜けることもありますが、時々休憩をしながら走り続けます。

「生活レベルを落とすことはなかな難しい」とよく言いますが、私には「仕事を減らすことはもっと難しい」と言う方がしっくりきます。仕事を通して自分の存在意義を確認してきた習性が抜けません。仕事が出来ない自分に価値はない、と思い込む節があります。そんな大した仕事はしていませんが、職業人としての人生を全うしながら、リレーを繋いでいこうと思います。

 

家族の絆

ハロウィンも終わり、いよいよ11月。

今年はまだ2か月もあるというのに、何だか気持ちが焦ります

 

脳梗塞を発症した父は、来週リハビリ病院へ転院することになりました。

発症当日は右手足が麻痺していたのですが、運動機能はぐんぐん回復し、ほぼ普通に歩けるように

今日お見舞いに行ったら部屋におらず、しばらく待っていると、シャワーを浴びてスタスタ戻ってくる姿は普通のおじいさんでした。

しかし、残念なことに言語機能障害がなかなか回復せず、上手く話すことができません

ラッキーなことは、入院当日から面会が可能になったということで、平日のみ15分だけ会うことができます。

全く会えないことを思えば、少しだけでも様子が分かりますので有難き幸せ 安心です。

コロナ禍の3年近く、病院はほぼ面会不可だったことを思うと、その時入院していた患者さんや家族の悲しみは耐えがたきものだったことでしょう。

 

家族が病気になると、緊密に連絡を取り合いますので、平時よりも関わりが深まります。

私には兄が一人いますが、とても穏やかで協力的な人。料理や家事は私よりはるかに上手だし、マメに動いてくれます。

母も4年前から病気を患っているので、両親ダブル介護になってしまいましたが、兄弟がいると本当に助かります。

私の家族は、小さい頃は本当に仲が良くて、どこへ行くにも一緒でした。

本当に楽しい記憶ばかりで、私の人格形成に大きく影響していると思います。

中学生くらいになってからは、お互い干渉せず自由気ままに生きてきたので(わがままで自分勝手とも言えます)、最後はちゃんと家族で向き合いなさいよという神様の思し召しなのでしょう。

介護はイライラすることが多く、自分の嫌な性格がひょっこり頭を出してくるので自己嫌悪になりますが、これも修行の一環だと思って平静を保つよう努力しています。

 

不思議に思うことは、私の夫はそもそも自立していますし、子供たちも大学に入って手がかからない状態になってから、両親の介護が本格化したということ。このタイミングがずれたことは偶然ではないと思います。

その時その時、ひとには与えられた使命があるんだな、と感じます。

そして安定した仕事があることは、とても大切。

運動も気分転換になります。

何か他に集中できることがあると良さそうです。

 

家族が最期まで安心して暮らせるようバックアップするのが、私の役割だと思って、残りの時間を大切に過ごしたいと考えた2週間でした。

孤独感

いつの頃からでしょうか、言い知れぬ孤独感に見舞われることがあります。

何か具体的な事象があって、それに対して寂しさを感じているというわけではないような気がします。

理由もなく、突然心にぽっかり穴が開く、という感覚です。

心臓の辺りが、大砲でくり抜かれたとでもいいましょうか。

それは長続きせず、1日も経てば空洞は埋まります。自然治癒です。

頻度も年に1~2回でしょうか。

そういうの、ありませんか??

 

家でゆっくり一人で過ごす時間は快適そのものですが、ひとり旅やひとり外食はこの上なく苦痛です。

どちらかというと外に出て感動したいタイプなので、必ず家族なり友人を誘って出かけます。

昨年大阪の学会帰りに、一人で奈良まで足を延ばしました。一人ルームサービスと一人朝食が落ち着かなくて。観光タクシーを利用して、行きたかったお寺などを巡りましたが、これもなんだか虚しさが感動を上回ってしまいました。

遊び相手がいなくなったら、寂しくて孤独で、枯葉のように散ってしまうのだろうと想像してしまいます。

とは言え、誰とでも仲良くベタベタできる愛想の良さは持ち合わせておらず、せっかく出かけるなら上質な体験をしたいわ、、、などと本当に面倒くさい人間だと自分のことを分析してしまいます

だからこそ、一緒に楽しめる家族や友人は、本当に大切にしないとと心から思いますし、その思いを言葉で表現するよう心がけています。(まだまだ不十分ですが)

 

孤独な感覚を味わえる領域には程遠く、人と一緒に共感できることで心の空白を満たしているのでしょうか。

たまに襲ってくる絶望的な孤独感が増幅しないよう、人を大切にしようと思う秋の夜でした

 

人生の楽しみ方

BSプレミアムで3年ぶりの『京都五山送り火2022』を見ながら、ブログを書いています。

『大』に『、』が付いたら『犬』になる・・・犬火??

世の中はお盆休みですが、当院は今週休みなく診療しております。

※8/21~25が夏休みです。悪しからず。

コロナに負けず、猛暑に負けず、連日予約いっぱいです。

キャンセルが出ても、すかさずスタッフがキャンセル待ちリストのお客様に連絡して、速やかに満員御礼。

スタッフのやる気も、猛暑に負けずとも劣らずHOTです。

「ここに来るのが本当に楽しみでした~

「肌がきれいになると気持ちが上がる。嫌なことがあっても、その程度が軽くなってしまう。」

「先生のお仕事は、人をキレイにして喜んでもらえるいい仕事よね

このように言っていただいて、私も気分よく診療することができます。Thank you

美容医療は間違いなく人生の楽しみ方の1つだと言えます。

 

楽しいこと、気分のいいことを経験すると、3~4日間は気分がhighになります。

高揚感と幸福感のベールに包まれ、すごく元気になります。

1週間くらいたつとすっかり日常に戻ってしまいます。

常に元気でいるためには、毎週1回は楽しいことをやらにゃあかんと思うわけです。

悲しいこと、辛いことがあると、ぐぐーっとマイナスに引っ張られてしまい、楽しいことをする気にも失せてしまいます。そしてどんどんストレスが溜まってしまう悪循環です。

まずは嫌なことから遠ざかること。(マイナスをゼロへ)

そして楽しいこと、気分の良いことをどんどんやる(ゼロからプラスへ)

人生を楽しむことに遠慮は要りませんが、意外と楽しむことが苦手な人が多いような気がします。

人生の楽しみ方が分からないのか、家族や社会に遠慮しているのか?

ヨーロッパ人なんか1か月間くらいバカンスを楽しんでいるそうですよ。

昔、夫がMilanoに留学していたので、少しの間私もMilanoで過ごしたことがあります。夏はヴァカンスで人々が街から消え、がらがらになりました。近所の小さなスーパー、パン屋、八百屋などは、3週間くらい休んでいたので驚いたものです。長っ!

冬のスキーリゾートは、ホテルの予約が1週間単位でした。1~2泊なんて受け付けてくれないのです。

開院する前は、2週間くらいヨーロッパ旅行などしたものですが、自分のクリニックを始めてからは、そんなに長い休暇を取る勇気もなく16年過ぎ去りし候。

歴史も価値観も違う国ですから、別にヨーロッパの真似をしなくても、自分らしく楽しめれば良いと思います。

大切なのは、自分の人生の楽しみ方を知っていること。

遊びのある人生に、美容医療を加えてみませんか?

ヴァカンス気分でお迎えいたします

 

 

 

直感を大切に やりたいことをやる

ゴールデンウィークも終わりましたが、いかがお過ごしでしたか?

私にとっては仕事(診療)も遊びもあまり境界線がなく、連続した時の流れを感じている日常です。

変わらず日々の晩酌を楽しみに生きている【THE中年女性】でございます

アルコール度数がやや低めのスパークリング日本酒やベリーニ(スパークリングワイン+桃のネクター)では、甘過ぎて物足りなさを感じてしまい、最近はどぶろくや赤ワインなど濃いものを好んでおります。

 

昨年10月頃から、当院の予約が取りにくくなっており、お客様には大変ご不便をお掛けしていますことを心苦しく思っています。

どういうわけが、予約は翌月まで埋まってしまい、初診予約は8月以降のご案内となっている状況です。

コロナの反動で、人々が自粛から解放し始めたことが原因だと思います。

昨日も2~3年ぶりの懐かしいお客様が2名来院されました。

久し振りにお越しいただけると、私も胸が高鳴ります

そして、あまりお変わりのない様子にホッとします。

出かける機会が増えると、ご自身のお顔に意識が向くようになり、

「このシミ・しわ、どうしよう

⇒「そうだ、白金行こう

と思い出していただけることが、何より嬉しいです。

 

何か月・何年振りかの治療を受けていただきますと、「やっぱり全然違った!すごく若返った!!」と嬉しい反応

自分自身が元気になれる方法の1つとして、『美容医療』の価値があるのでしょうね。

医療である以上、ある意味身体(皮膚)に傷をつける行為を伴いますから、ゼロリスクではありません。

未知な美容医療に対して、不安や不信感を抱いていらっしゃる方には、「緊急性はありませんので、ゆっくりお考え下さい」とお伝えしています。

良く分からないゆえに怖いとおっしゃる方には、治療について丁寧に説明するよう心がけています。

お金が続くか心配される方には、借金してまで受けるようなものではないと話しています。

・・・と言いながら、私自身学生時代にローンを組んで針脱毛を受けたことを思い出しました

2年がかりでスッキリしたので、全く後悔していませんが、エステサロンで働く人は学生相手にローンを組ませることに違和感はなかったのでしょうか?

※私自身、消費を楽しむものに対して借金することを好まないので、高額商品をローンで購入することに強烈な抵抗を感じています。個人の感想です。

楽しみや期待値が不安を上回った時こそ『治療の受け時』だと思います。物事にはタイミングがあります。

楽しくて仕方ない、キレイになれて嬉しいという幸福感が得られてこそ、美容医療の効果を発揮できるのです。

 

私の経験上、何か物事の判断に迫られる時「おや?何か引っかかるな。」と感じたら、焦らず見送った方が無難です。気になることがあるにもかかわらず、その場の勢いで決めてしまうと後悔することの方が多いと感じています。自分の直感を信じることに自信が持てるようになったのは40歳過ぎてからでしょうか。いや、もっと最近かもしれません。

たくさん経験をして、失敗もして、そこから学ぶしかありません。

※恋愛も経験が必要ですよ~

今でも決断を下すことに迷いを感じることはないとは言えませんが、直感を信じて行動すれば、それほど大きな傷を負うことはないと自覚しています。

 

迷いなく美容医療を受けていただけるような、しっかりとした判断軸をお持ちの方は、とても治療が進めやすく、結果が出しやすいのです。当院に通っていただいている方は、比較的そのようなお客様が多いような印象を受けます。

 

主体性を持って物事に取り組める女性が増えました。

これは戦後教育の賜物であり、自立した女性が増えていることは大変喜ばしいことだと感じています。

自我を押し殺し、親と夫の言うことに従い隷属することが当たり前だった戦前に比べれば、何と自由な時代になったことでしょうか。

日本において我々女性は、人類史上最高の自由と権利が守られている社会に暮らしていることに対して、先人の努力を忘れてはなりません。

環境に不満を言いながら出来ない理由を並べるのではなく、

出来るように工夫・努力しましょう。

やりたいことがあれば、どんどんチャレンジして下さい。

 

私は今年中にパラグライダーに挑戦したいです!

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