医療法人社団晴栄会
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Blog院長ブログ

教育格差と感動体験

「日本では子供の8人に1人が相対的貧困に直面している。

家庭の経済的な事情による教育環境の格差が大きく影響する。」

貧困により、教育格差が生じ、将来の選択肢が狭まり、視野も行動力も狭まるということです。

そこでソニーグループ元社長の平井一夫氏は、感受性が豊かな子供時代に、心から感動するような体験を提供する「プロジェクト希望」を設立。運営資金は100%個人資金。公的資金では使途に制約もあり、思い切った試みが出来ないからだとか。

以上日経新聞より。う~む、素晴らしい。

 

子供時代の感動体験は、人間形成に大きくプラスに影響すると、私も強く共感。

「経験値を高める」は、我が家の教育指針の一つでもありました。

「プライスレスな経験を」「モノより思い出」も我が家の家訓であります。

 

さらに思うことは、家族や友人、恋人などを通した良い人間関係というのも、人生の質を高める上では欠かせない感動体験だということ。

若い頃の友人や恋人は、一時の関係で終わってしまうこともあります。

しかし、その人たちが大好きで、青春時代を共に過ごした思い出というのは、まさに感動体験そのものです。

「特に恋愛というゲームの場では、ひとは自己と他者についてとことん学ぶ」by 上野千鶴子

若者よ、もっと恋愛せよ、と言いたい。

エネルギー溢れるあまり、恋は盲目であり、お互い傷つけ合いながらも、成長していきます。

 

恋人と別れたら、元カレに関わる品々を全処分してしまう友人もいますが、物品を処分したところで思い出まで消去できるものなのでしょうか。

精神がひりつくような痛みを覚える経験をしたことも、今となっては自分自身の血となり肉となり、嫌な思い出すら懐かしめるようになっているのは、傷の程度が浅いのか、私の神経が図太いのか。

あまり過酷な経験をしてこなかったと言えば嘘になるような気もするのですが、他者に対するリスペクトがねじ曲げられるほどの劣悪な経験というものをしてこなかったことは、たまたまラッキーだったのかよく分かりません。

セクハラをされた記憶がないくらいなので、本当に鈍感なのか、メンタルが強靭なのか。

 

大切な思い出は骨の髄に染み込んでいます。

切り離して消去、なんて出来ません。

保存された多種多様な体験の保存フォルダが、その後の人生を豊かにしてくれたような気がします。

私というコンピューターは、だいぶメモリーが埋まってきているので、やはり一部消去は必要なのでしょうか?

いえいえ、アップグレードして、メモリーを拡張します

 

 

 

 

 

 

 

整理整頓

「50代になって1年が経ち、以前よりなにもかもが捗らなくなったと感じ、怖くなる」

日経新聞のエッセイを読んでいたら、このような1文が私の心に刺さった。

そうそう!これ、まさに私の心境

自分の思いが明確に言語化された文字に触れると、何だか嬉しい。

最後の「怖くなる」はちょっと違うかな。

 

最近、提出物や振り込みなどをうっかり忘れることがあり、マメにメモを取るようにしている。

朝、やるべきことを携帯にメモして出勤。

クリニックに電子カルテのようなものがあるので、自分のカルテにやるべきことをリストアップ。終えたら『済』マークを付ける。

提出すべき書類などは、後回しにせずどんどん片づける。

重要書類はファイリングして保存。

紙の書類も、PC書類も、さっさと整理整頓。

後で探す労力を考えたら、最初から整理した方が間違いない。

年々家のモノが増えるように、書類もどんどん増えまくる。

定期的に破棄しないと。

 

今年は家の中をもっと整理整頓して快適に過ごしたい。

それから、自分の財産をリストアップして、万が一の時に備えたいと思う。

終活ではないけれど、残された人が困らないように、身辺整理をしておきたいと思うようになった。

 

事務仕事にはいささか非効率さを感じていたが、日々の診療に関して捗らなくなったと感じることは一切ない。

毎日同じことを繰り返していると、無意識レベルで出来るような気がする。

自分の持てる経験と知識と技術を総動員して、患者さんの素肌に磨きをかけるお手伝いが出来たらこの上なく嬉しい。

人間の能力にはcapacityがあるので、脳内にも少し余白を持たせるよう整理整頓しておきたい。

インプットしなくてもいいような情報は右から左に流すとしましょうか。

 

 

 

総おひとり様社会

2020年の国勢調査では、単独世帯が一般世帯の38%を占めたとのこと。

東京都に限ると50%を超えている。

夫婦と子供2人という旧モデル世帯は1割を切る。

3世代同居は4.1%。

※日本経済新聞より

 

1人は気ままでいい。

私は50年間、いつも誰かと一緒に暮らしていたし、ずっと仕事をしていたから、1人でいられる時間などほとんどなかった。

子育てが終わり、1人で過ごす時間が断然増えた。

時々家族と過ごす時間は大切だし愛おしいと思うが、ひとり時間の快適さは捨てがたい。

長年1人暮らしを続けている人たちが、「他人と一緒に暮らすなんて無理」と口を揃えるのも理解できる。

適度な繋がりを感じながらも自由でいたいと思ってしまう。

まぁ、要するに、私はわがままな人間だと思う。

社会(社会って誰?)が個人主義を目指し、民意がそれを許容した。

個人の権利主張が強くなった。

これは欧米社会を模倣したからに他ならないが、表面的な制度だけを輸入し、魂が伴っていないからおかしなことになっている。

もともと日本人は控えめで謙虚で、空気を読み、周囲に合わせることが得意だし、善しとする文化だ。

個人の権利より、公の利益を優先してきた国だ。

この同調圧力は、コロナ禍で露になった出来事である。ある意味恐ろしかった。

私も若いころはアメリカ留学なんてしたものだから、そういう日本の堅苦しい習慣を毛嫌いしたものだ。

しかし、長く生きて、いろいろ経験し学んでいくうちに、日本の歴史、文化、精神性というものの成り立ちを知ると、張りぼてのような制度設計には無理があると思う。

日本人らしさという大和魂を無視しては上手くいかない。

 

80代の知人が現役で働いていた1980年代頃、彼女の会社では連休取得は4日間が限界だったという。

1週間も取れる雰囲気ではなかったし、皆もそんなものだと思っていたという。

4日間の短い海外旅行にたくさんのOLさん達が参加していたそうだ。2泊4日の旅??

私が研修医として働いていた90年代も、夏休みは1週間もなかったし、有休休暇という概念すらなかった。これは医師という属性だったからかもしれない。

真面目にコツコツ働くことが美徳であり、自分の出来ることが増えると純粋に嬉しかった。

休みもなく働くことがカッコ良かったから、睡眠時間を削って仕事した。

それでも夢と未来があったから苦にならなかった。

20年以上経った今、働き方は大きく変わった。

有休や育休取得を推奨し、残業を減らすことが良いとされる空気を感じる。

労働時間は1996年に1915時間、2021年は1651時間へ減少。

ところが日本国民1人あたりの労働生産性は1996年からほぼ横ばいとのこと。

米国は2.5倍、英国は2倍に増加しているのと比べると、停滞感を実感する。

労働時間は減ったけれど、仕事の成果も減ってしまったということ。

働き方改革は何か間違っているのだと思う。

真面目にコツコツ、人のためになる仕事をしている人が報われる社会であって欲しい。

 

 

さて、権利主張の激しい個人主義社会を模倣した日本。

核家族化が進み、とうとうひとり暮らしがスタンダードになった社会。

ひとり暮らしの高齢者をどうやって支えていくかが大きな課題である。

自由には責任と義務が伴うという原理原則を忘れてはならない。

人はひとりで生きていくことなどできず、家庭や学校、会社という社会の枠組みの中でたくさんの人たちの助けを借りている。

謙虚で驕らず、感謝の気持ちを忘れない。

そして「忠恕」の心で、志欲を持って生きていたい。

 

 

 

渇愛と志欲

「渇愛」という仏教用語があります。

食欲、睡眠欲、性欲、物欲、承認欲求などは、人体の穴(目、耳、鼻、口、肛門など)を満たす快楽。

GIVE and TAKEのTAKEによって得られる満足です。

渇愛という人間の欲望は際限がなく、何か満たされると、またその先を求めて、、、を繰り返してしまいます。

 

渇愛の分かりやすい例が、お金という欲でしょう。

収入は上を見ればキリがありません。

1000万、5000万、1億、5億、10億、いくらあれば安心するのでしょうか。

ハイブランド商品や宝石、高級車、クルーザー、別荘、自家用ジェット。

最近は宇宙旅行でしょうか。

我々人類はどこへ向かっているのでしょうか。

資本主義欲望まみれの世の中では「もっと売って、もっと利益を上げて」が当たり前の目標になっているから、人間はどんどんエネルギーを消費して、環境破壊を続けています。

環境意識の高い方が、「地球は死にませんよ。死ぬのは私たちです。」とお話されていました。

ドキッとしました。

地球に優しいとか言っている場合ではなく、我々人類が生きられなくなってしまうというダイレクトな表現は胸に刺さります。

 

「美容欲求」も渇愛だと思います。

もっときれいに、もっと美しくなりたいループにハマる人がいます。

これは虚しく、いつまでたっても満たされない永遠のラットレース。

渇愛的美容は不健全ですし、多くを求め、過剰な美容医療を受けても顔は張りぼて、美しい生き方と思えません。

どこかで「まあ、こんなものか」と割り切りながら、ほどほどに持続可能なメンテナンスをしている人は健全な精神の持ち主ですし、きれいでいることがQOLを高め、人生の本質部分に貢献できれば、それは丁度よい美容欲求だと言えるでしょう。

美容医療に携わっていると、自分のやっている仕事は、視覚的客観的に肌を美しく清潔に整えるということが使命であり大前提なのですが、その人の心が美しく整うように美肌治療をしているような感覚があります。

私自身が身に付けた美容医療のスキルや考え方を通して、人としての生き方を見つめ直し、自分も社会もより良くしたいという志の方々が増えたらいいなぁと思っています。

 

渇愛の虚しさに気付いたのは40代半ば頃でしょうか。

知足できたことは良かったのですが、人生の目標を見失った気分になりました。

欲が無ければ成長が止まってしまうかもしれないという漠然とした焦燥感から、本心では願ってもいない目標設定をすることもありましたが、何かおかしいといつも心の中に小さなしこりを感じていました。

お釈迦様は、「志欲を満たしなさい」と言います。

志欲とは、自分の持てる能力を人のために活かすということです。

GIVE and TAKEのGIVEによって得られる満足ですね。

何を与えることができるのか?については、個人個人の得意なことによって個性があっていいのです。

今年はクリニックの人事制度を作成するために、動画で学習を続けているのですが、その動画の中で、繰り返し出てくる言葉を紹介します。

「相手はどんな人で何を求めているのか。相手のために何ができるのか。」

これはまさに志欲ではないでしょうか。

私自身は、まだまだ志欲ばかりではなく、恥ずかしながら少しは渇愛も残っています。

若い頃は100だった渇愛も、今は10くらいに減りました。

減った90が全て志欲になっているかというと、そんなことでもないような気がします。

これからは、相手のために何ができるのか?を真剣に考えながら、自分の持てる力を惜しみなく他人に降り注げるような人間になりたいと本気で考えるようになりました。

今まで学んできたことを掛け合わせて、世のため人のために自分の力を使える人に成長したいと思います。

35歳で悟りを開いたお釈迦様の教えは、2600年経っても色褪せず、人生の本質を捉えていることに畏敬の念を抱きます。

 

 

 

結婚式

随分久し振りに、親戚の結婚式に参列しました。

甥が27歳で結婚、おめでとうございます

我が子が結婚するイメージを勝手に膨らませながら、涙腺が崩壊しそうになりつつ、珍しく塗ったマスカラでパンダになってはならないという冷静さが際どく勝利。ぐっと堪えて平常心を保ちました。

50人くらいのコンパクトな披露宴で、会社関係の人も少なく、形骸化した上司のスピーチ連発ということもなく、ほのぼのとしたお祝いでした。そういえば、恒例友人の芸というのもありませんでしたね。

最近は、同居⇒入籍⇒(結婚式)という順番がトレンドだとか。

結婚式は恥ずかしいし、お金もかかるし、やらないというのも合理的なのでしょうね。

 

小さい頃はうるさくて落ち着きがなく、親戚の大人をイラっとさせた甥が、素敵な女性と恋愛結婚に至りました。

晩婚化・未婚化と叫ばれるこのご時世に、何とも喜ばしい限りです。

結婚は賛否両論ありますが、私は自分自身が結婚して、たくさん苦労も経験しつつ、喜びの方が100倍返しだと感じていますので、結婚はチャレンジする価値が大いにありと思っています。

25歳研修医の時の出来事。黄昏時の病室で、担当した50代女性が「私は仕事で成功した。けれど子供を産まなかったことだけは後悔している。」と語った時、子供嫌いの私の心に何か変化が起きました。

今となってはこの女性に感謝してもしきれません。

それ以来、若い人には「生理的嫌悪感さえなければ付き合ってみればいい」と伝えています。

自分の自由がなくなるからとか、お金がないからとか、結婚しない理由をあれこれ並べる人もいますが、結婚や子育てを通して人はグンと成長する可能性があります。この経験値は侮れません。

上手くいかない時もあります。

我慢が必要なこともたくさんあります。

家族喧嘩で落ち込むこともあります。

人知れず涙することもあります。

山あり谷ありですが、やはり喜び100倍です。

 

若い人たちが、普通に胸キュン恋愛を楽しんで、一緒に暮らせるような社会だと夢があるのではないでしょうか。

家庭を持つことに憧れるような社会にしていくために、私たち大人ができることは何でしょうか。やはり、子供たちが憧れるような家庭を親が見せることではないでしょうか。そう、大人が楽しんでいないと。

いい恋愛をたくさん楽しんで欲しいと思います。

20代の愛すべき対象は「男性」でしたが、30代になり「子供」へシフト、40代半ばからは「犬」へ・・・

50代以降は「生き物」、いわゆる人類愛・動物愛・植物愛へと広がりそうです

 

 

暇と疲労のあいだ

最近、両親の健康状態が安定してきたことで、両親を気に掛ける時間が減ったために「暇」になりました。

人間は暇に耐えられないようで、何か暇つぶしをしようと予定を詰め込む性のようです。

しかし、その暇つぶしが結構退屈だったりすることもしばしば。

学会中のつまらない講演(私の理解力欠如によるもの)など、その最たるものだと思います。くだらないテレビ番組を観た後なども、ひどく後悔します。

 

さて、「暇」を退屈することなく埋めるべく、まずは買い込んでいた本に取り掛かります。

読書時間を確保すると、自分の脳がアップグレードしているような感覚があり、この上ない充実感を味わうのですが、ずっと読書ばかりするのも飽きてしまうし体も鈍るので、知人と会う予定を入れたり、先週は麻で「しめ縄」を編むワークショップに参加し、心豊かな時間を過ごせて大変満足でした。

またユーミンのコンサートに武道館へ出かけ、69歳ユーミンに刺激され、私も69歳まで頑張ろうと勇気を貰いました。※特別ユーミンのファンではございません。

それでもまだ暇だから、同級生の教授就任パーティーに出席してみたり、スタッフと食事会をしたりetc.

こうやって暇をガンガン埋めていくと、どーっと疲れが出てしまい、ウルトラマンのタイマーがピコピコ点滅。エネルギーを温存するべく、少々減速してゆっくり過ごそうとスケジュールを空けてみます。

そしてまた「暇」になって、予定を入れては「疲労」して、、、の繰り返しです。

診療も然り。

無理やり予約を入れ込むと、2~3日くらい続いたらヘトヘトです。

時々キャンセルが出て埋まらない時間が発生すると、その「暇」に精神が耐えられなく、またもや予約を入れ込んで「疲労」していくことの繰り返しです。私たちは本当に「暇」が苦手のようです。

 

子育てをしていた頃は「暇」など考える余裕もなく、忙しく充実した日々を過ごしていました。

子育てをしていた頃が一番幸せだったという女性が多いことに共感できます。

思い返せば、子育てとは最大の「暇つぶし」であったことに気づきます。

渦中にいると、「早く子供が大きくなって、自由な時間が欲しいわ」などど言いながら、最高の暇つぶしに気づくことができませんでした。朝の旗振り当番やPTAのお仕事、お祭りのパトロール、サッカー当番などやりたくもない仕事を無報酬で分担することが本当に苦痛で、「私はもっと仕事に集中したいのにぃぃぃ」と本気で悩んだこともありました。余裕がなかったのです、以前の私。

当時の私に声を掛けてあげたい。「そんな時期はあっという間に終わるよ」と。

そこにかけていたエネルギーがごっそり有り余る今、「暇」と「疲労」のあいだを行ったり来たり。

凡人の私には、有り余ったエネルギーを全て仕事に注ぎ込むほどの意気込みも能力もありませんので、チョロチョロ余暇活動を楽しみながら暇を埋めている次第です。

そして何と言っても、仕事こそ最高の「暇つぶし」です。

美容医療は人の役に立てている実感が得られます。

元気な限り、仕事は決して手放しません

寄る年波の変化を感じつつ、暇と疲労のあいだを行ったり来たりしながら、日々楽しむことといたします。

 

 

あっという間について考える

早いものでもう10月。

「今年もあっという間に終わりそうですね。早すぎて怖いです云々」

同じような会話を繰り返す自分が嫌になるほど、本当に早い。。。

 

長いお付き合いの患者様は、60歳、70歳、80歳になり。

この間生まれた孫が大学生になっていたり。

高校生だった娘さんが結婚して子供が産まれたとか。

親御さんやご主人が天に召されたり。

愛犬を看取って悲しんだり。

定年退職して地方へ移住したり。

自宅を処分して老人ホームへ引っ越したり。

子供と二世帯住宅を建てたり。

親の相続で華麗なる争族。

結婚したり、離婚したり、再婚したり。

ご主人の転勤で海外赴任したり、戻って来たり。

出世したり、転職したり。

子供が不登校になったり、留学したり。

 

皆様のライフイベントに触れ、

一緒に喜んだり、涙ぐんだり。

 

暮らしの変化をこうして並べると、

圧倒的に家族関係のことが多いことに気付く。

みんな、色々辛いことや悩みを抱えて生きている。

いつも笑顔で幸せそうな人でも、

人知れず問題を抱えていることは結構多い気がする。

 

若い頃、夜な夜な恋バナで熱くなっていた頃が懐かしい。

鳴かぬ蛍が身を焦がす、なんて感情は、どこへ忘れてきたのやら。

貴方なしでは生きていけない、なんて言ってみたいものだ。

 

60代後半の女性が言っていた。

「50歳からはアッと言う間よ、本当に早いんだから。」

やり残したことはないけれど、もう少し仕事を頑張りながら、人格を磨いていたい。

精神的にはまだまだ乗り越えなければならない壁はある。

100歳まで元気で生きていたい。

去年から始めたジャズダンスの振り付けがなかなか覚えられず、劣等感を味わっている。

認知の衰えを予防するには仕事しかないと思う。

私にとって最高のアンチエイジングは、間違いなく診療だ。働き続けること。

医師免許は自主返納も強制返納もないから怖い。

怪しくなったら、子供に取り上げてもらうことにしようかな。

 

あっという間なんてことはなかった。

いろいろあるものだ。

思い出に浸るだけでも結構楽しいものだ。

お礼を伝えるということ

今年も無事誕生日を迎えました。

中高年になると、「また歳を取っちゃったわ。誕生日なんて嬉しくないわよ~」という言葉が急増するようになり、形骸化した「お誕生日おめでとうございます」というフレーズにずっと違和感を感じていました。

何というお祝いの言葉を伝えればいいのだろうか、と代替案を考え続けていました。

そういう私も50歳を過ぎ、ここ数年、「誕生日なんて嬉しくないわよ~」とささくれ立つ気持ちがあり、お祝いされても気恥ずかしさが先だってしまうくらいでした。

しかし、今年は心の棘が抜け、まろやかさを感じています。

今までご縁のあった方々のお陰で、今の私が在ると思えます。

いい人ばかりでなく、時には衝突したり、ご縁がなくなってしまう方々も含め、彼らとの経験全てが今の私を形成しているのだということを思えば、通り過ぎた人たち全員が私の恩師でもあるのだと、しみじみ思えるようになりました。

感謝です。

 

誕生日やクリニックの周年、そして年末年始は人生の節目。

物事を振り返り、これからの人生や暮らし、仕事、社会について深く考えています。

今年の誕生日に考えたことは、「お礼」について。

私はお礼の表現が上手ではありません。

苦手ではないのですが、自分の理想形から“far behind”です。

お世話になった人に、もっともっと感謝と愛を表現をしたい気持ちは溢れ出てくるのに、それが上手に表現できません イメージとしてはまさに氷山の一角程度の表現です。

照れくさいのもありますが、余計なことかな?と思われるのではないかと考え過ぎてしまう傾向があります。

何か贈り物をしたいと思い、夜な夜なネットで「あーでもない、こーでもない」と探しながら、疲れるパターン。

「ま、いいか。明日やろう」と先延ばしにして、タイミングを逸するという悪循環。

どんどん行動に移さないと後悔ばかりが溜まってしまいます。

まさに“お礼負債”

愛情循環不全。

私自身がモノに対する執着がないので、どうしても“モノ”を贈るのが苦手です。

苦痛過ぎて、「旅行の定番お土産は買いませんからね」とスタッフに伝えているくらいです。

まずは、お礼の気持ちを言葉で表現したり、メッセージカードなど利用して、とにかくアウトプットする!

自分の寿命を10年と設定して、今やらなければ次はない!という覚悟で取り組みます。

それがスマートにできる人になりたいと思い、誕生祝いをしてくれたスタッフに宣言しました。

 

誕生日には、毎年スタッフや家族、友人らが集まってくれます。

共に時間を過ごしてくれるだけでも、本当に有難いことです。

人はひとりでは生きられません。

皆との関係の中で生かされていると思うと、今までに関わった人たち全て に感謝したいと思えるようになりました。

 

誕生日にお祝いしてもらうのは子供の習慣。

大人になったら、誕生日はお祝いされる日ではなく、自分から周りの人にお礼を伝える日だと思えたことが最大の収穫でした。

 

 

 

幸福は美の根源

日々、患者様との会話を通して、人間としての生き方の本質を考えるようにしています。

美容皮膚科の診療で得られる情報は、まるで文学作品のよう

小説のようなストーリーに耳を傾ける時間は、実に面白い。

子供の頃、あまり本を読まず、外で遊んでばかりいた体育会系文学コンプレックスの私ですが、仕事を通じて様々な人のモノの見方、考え方に触れることが出来るのはこの上ない財産だと感じています。

 

幸せそうな女性が、どのような環境に育って、どのような暮らしをしているか?気になりませんか?

美容医療を提供している身として言わせていただきますと、『幸せそうな笑顔』こそが美の根源だと本気で思っています。即ち、心持ちです。

だからこそ、幸せそうな人に対して、私なりにヒアリングをして分析しています。※全く学術的ではないので、個人のバイアスがかかっているかもしれません。悪しからず。

 

今まで一貫して言い続けていたのが、「夫婦仲がいい人」でした。

今日はさらに一歩踏み込んで考えてみます。

自由に伸び伸び、幸せそうに暮らしている女性は、ズバリご主人が「できる男」なんですよね。。。

妻が楽しそうに暮らしていることを喜びと感じるから、妻の夢が叶うよう協力します。

協力というのは、金銭的なフォローだけでなく、家庭運営にも積極的に取り組むことを意味します。

そう、できる男は仕事もできるし(お金も稼ぐし)、自立して家のことも卒なくこなしているのです。

何て素敵な男たちなのでしょうか

少数だと思いますが、実際に存在するのです、このようないい男たち・・・

また、こういうできる男は気持ちにゆとりがあるのでしょうか、決して妻を束縛しません。

「君が望むことなら好きにすればいいさ」ってな具合ですよ、本当に。

そして妻も、そういう夫への感謝の気持ちを忘れません。謙虚です。

こういう男性を惹きつけられる、愛されキャラの女性って、いったいどんな魅力があるのでしょうか。

きっと惜しげもなく愛を与えられる女性なんだろうなぁ。

このようにお互いを尊重し、いい関係を保っているのでしょう。

1回だけの人生で、このような素敵な伴侶と巡り合える人は、本当に運が良いとしか言いようがありません。

運も実力?前世の行いが良かったのでしょうか?

 

私が結婚して間もない頃、仕事と子育てで忙しくて、心の余裕がなかった時のこと。

居酒屋で何気に夫の愚痴を漏らしていたら、恩師の宇津木先生から、

「配偶者を幸せに出来なくてどうする」と叱咤激励されたことを今でも覚えています。

これって普通、男性に投げかける言葉だと思っていたので、女性である私に言われたものですからびっくり仰天でした。

でも、何だか嬉しくて、「ああ、そうか。自分で選んだ伴侶なんだから大切にしないといけないんだ。」と素直に思えたのは、まだ若かったからでしょうか。あれから20年経ちますが、私が夫を幸せに出来ているかどうかは不明です

 

あまり男だ女だと、役割分担を決めず、相手を思い、出来ることは出し惜しみせずやる!愛を与える!

夫婦に限らず、家族、友人、職場での人間関係にも応用できることだと思います。

与える喜びを感じられる人が増えたら、この世の中は幸せに満ち溢れ、美しい人が増えることでしょう。

 

人生リレー

久し振りのご来光です

 

熱海付近からの日の出です。

大自然に触れると、心に酸味を感じます。高校時代に1年間オレゴン州で暮らした経験があり、360度自然に囲まれた(建物がない!)甘酸っぱい感覚が蘇ります。

毎日自然の中で暮らしている人々にとっては日常の風景でしょうが、コンクリートジャングル東京で暮らす私たちは、時間とお金をかけて自然を求めに出かけます。旅先ではいろんな人が暮らしており、様々な人生があります。その時間の流れを思うと、自分の生きている箱(社会)がいかに小さいかと気づかされ、もっともっと広い視野で生きていたい、、、などと断線しかかっているにも関わらず混線している脳内配線が整理されるような感覚になります。

 

12月中旬にもなると、目黒川沿いの樹々も落葉が進み、風に舞う落ち葉は人生の終盤に差し掛かった年老いた親を連想させます。

一方、「花金だぁ!」と朝帰りする若者や、ベビーカーに座るお肌ぴかぴかの赤ちゃんには、これからの無限の可能性と輝かしい未来が重なります。

私たちは太古の昔から、命のリレーをしてきたのではないでしょうか。

老いから若きへバトンタッチが脈々と続けられたからこそ、今の私たちが存在します。

現代は寿命が延びたので、400mリレーというより駅伝でしょうか。

しかも、建物、車、電車、信号、人混み、スマホなど障害物が多くて、走るのも容易ではありません

減速するか(仕事を減らす)障害物を減らすか(社会の仕組みをシンプルにする)しないと、息切れして脱落しちゃいそうです。

自分自身の駅伝区間も後半戦に突入したので、次世代にバトンを渡すまでは省エネで走り続けようと思います。

なるべく平坦な道を探し、時にはちょっと坂道を駆け抜けることもありますが、時々休憩をしながら走り続けます。

「生活レベルを落とすことはなかな難しい」とよく言いますが、私には「仕事を減らすことはもっと難しい」と言う方がしっくりきます。仕事を通して自分の存在意義を確認してきた習性が抜けません。仕事が出来ない自分に価値はない、と思い込む節があります。そんな大した仕事はしていませんが、職業人としての人生を全うしながら、リレーを繋いでいこうと思います。

 

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