医療法人社団晴栄会
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友達について考える

3年ぶりに大学時代の友人と再会

仲の良い4人組で『軍団』と呼ばれていました。※怖い人たちではありません。

卒業後も定期的に集まっては、時に激しく言い合ったり、涙したり。

飲み過ぎた思い出は数知れず、

ゴルフ合宿やスキーなど旅行の思い出もたくさん

恋話もお盛んでした。

そんな軍団も、憎きコロナに分断されるような時代に突入

社会的責任感のあまり、どうしても外出できなかった友人がいました。

どこまで誘っていいものか戸惑うようになってしまい、かえって迷惑かもしれない、、、などと考え過ぎてウロウロ。

それでも懲りずに3年越しで声掛けを続けてみたところ、この度思いのほか喜んで足を運んでくれました

 

私は八方美人ではないので、好きな人や気の合う人としか時間を共有しませんでした。

お付き合いだから、という理由で、楽しくもないのに一緒に過ごすことはできるだけ避けてきたので、生意気な学生だったと思われていたことでしょう。協調性に欠けていたのですが、それでも不自由なく生活することが出来たのは、自分に合ってる環境だったのか、鈍感だったのか。。。

そんな私が最近になって、友人らとの『共通点』を改めて感じるようになりました。

1.口が堅い

学生時代は好奇心の塊から、いろいろチャレンジ変なことをたくさん経験しましたが、墓場まで持って行かなければならないような出来事も当然ありました。我々はお互いの「墓場話」を知っていますが、それを口外することは絶対にありません。30年以上経ってもそれが当然のように守られていることに、お互いの信頼関係を再認識します。よく週刊誌に芸能人の不倫などすっぱ抜かれた記事がありますが、自分たちのことを口外してしまうような人間関係は最悪です。

2.自立している

基本的に自分のことは自分でやる(処理する)のが当たり前。他人に依存しない。

3.付き合いは結構淡泊

ベタベタしない。卒業旅行はベルリンでしたが、当然現地集合。ベルリンの壁を観たい2人と、買い物したい2人に分かれて別行動。

上記1~3の自然発生的な共通点を意識したのは、ごく最近のこと。若い頃は、「なぜ友達なんだろう?」なんていちいち考えません。空気を読むとか、自分を押し殺してまで他人に合わせるような付き合い方をしてこなかったので、何となく気の合う人と一緒にいたんだと思うのです。

今となっては、このようにわがままだった私と友達になってくれて本当に有難かったと感謝すらしています。

親しいからこそ、また若さゆえの傲慢さから、お酒が入ると言いたいことを言いまくってお互い傷つけあったこともたくさんありました。「もう、本当に嫌だ」と気が滅入るようなことも何度かありました。

自我が強すぎて、相手の立場で物事を考えられず、とても腹立たしく感じた(感じさせた)経験も数知れず。

だんだん歳を重ね、人生経験も増え、暮らす環境も変化し、お互いの立場について「ま、そうだよね」と考えられるようになってきます。

今はやりの「ダイバーシティー&インクルージョン」

友達との付き合い方は、お互いの環境や年代で刻々と変化していくものですが、何十年も付き合える仲間は本当に宝物、プライスレスではないでしょうか。

コロナに負けない人間関係を再構築し、これからも定期的に集まって楽しい時間を過ごせる仲間でいたいと強く願った夜でした

神様

息子が第一志望の医学部に合格しましたぁぁぁ

よく頑張りました

本当におめでとう

 

小さい頃は「おかあしゃん、おかあしゃん」と母の後ばかりついて回った可愛い息子。

保育園で字が書けるようになった頃、毎日のようにラブレターを書いてくれた我が子。

保育園、小学校時代と、何かと先生に呼び出されることが多かったやんちゃ坊主。

ゲームばかりしていた反抗期の中学生時代。

ようやく自我が芽生えた高校生。

自分の将来へ向けて進み始め、やっと勝ち取った成功体験。

年明けの共通テストから合格発表までおよそ2か月。

本当に長かった~~~

「神様っていたんだ」っていう気分

子供って、こんなに人生に潤いをもたらしてくれる存在だったとは。

思い返せば大変なこともたくさんありましたが、

そんなことを吹き飛ばすくらいの喜びをもたらしてくれる存在です。

 

足繫く愛犬と通った近所の神社に、御礼参りをしてきました。

あの“ぎっくり腰”になってしまった神社です。

神様にお手紙を書いて、お賽銭箱に入れてきました

実はこの神社、息子が中学3年の絶賛反抗期中の頃、一緒に茅の輪くぐりをした神社です。

「神様、この子自身が進むべき道を早く見つけられますように」と何度も何度も祈りました。

自分自身で自覚しないことには、周りが何を言っても響きませんから。

子供の成長はこの上ない喜び。

人生半分生きてきた私くらいの年齢になると、

自分のことよりこれからの時代を担う若い人たちの未来に向けて応援したい気持ちが強くなります。

コロナとか戦争とか、世界は不穏な状態が続いていますが、

戦争なんか止めて、真の意味で豊かな社会に向けて、そのエネルギーを注いで欲しいと心から願います。

 

祖母永眠

101歳の祖母が永眠しました。

本日は葬儀のため、ご予約いただいた患者様には大変ご迷惑をお掛けしてしましましたが、ご容赦頂ければ幸いです。

 

祖母は頭がしっかりしていたせいか、

死ぬまで尊厳が保たれていました。

老人施設に10年以上お世話になったにもかかわらず、

家族やスタッフにぞんざいに扱われることなく、

最後まで立派だったと思います。

 

精神的に自立していて、

家族にもたれかかることもなく、

超節約根性は誰にも負けず、

自分のこととなるとドケチなのに、

孫の私にポンッと車を買ってくれたり、

家族にお金を回せる人でした。

昭和30年代に、夫(祖父)の赴任先であるインドで運転免許を取得し、

昔の女性としては珍しく車(マニュアル!)を運転していたので、

小さい頃はいろんな所へ連れて行ってくれました。

短歌、ピアノ、麻雀、お茶、社交ダンス、洋裁など多趣味な人でした。

 

10年以上老人施設に入居し、

だんだん衰えていく中、

どのように感じ、何を考えていたのでしょうか。

強い人だったので弱音を吐くことはありませんでしたが、

辛かったのかな、寂しかったのかな、痛くなかったのかな、などと可哀想に感じることもありました。

いわゆる『老衰』でしたが、最後は声も出せず、食べられず、静かに息を引き取りました。

立派に101歳の生涯を終えました。

いい人生だった!と思いながら、あの世へ旅立っていることを信じています。


カッコいい60代

40代の頃から『自由な50代』をイメージして、そうなるように人生設計をしておりました。

先日掃除をしていたら、2012年に開かれた大学の同窓会パンフレットを発見

私の近況報告は以下の通りでした。

港区白金で美容皮膚科を開院、7年目を迎えました。

「自由な50代」を目標に仕事と家庭を大切にしています。

おおー!! 10年前から「自由な50代」を掲げていたことにびっくりです。

10年前は東日本大震災の影響もあり、クリニックの仕事もまだまだ不安定でした

子供たちもまだ小学生で、手のかかる年頃でした。

あれから10年。

お陰様で、理想の50代に近づけたのではないかと満足しております

 

では、次はどんな60代を目指そうかな??と考えました。

娘が素敵なフランス人女優の写真を見せながら話をしてくれたのですが、

「お母さん、この女優さんは日焼け止めを塗らないんだって。UVケアは帽子とサングラスだけみたい。カッコいいよね~。」

確かにカッコいい。

フィリピーヌ・ルロワ=ボリュー

50代後半の彼女は、美容医療による過剰なお手入れをした感じがなく、薄化粧。

ファッションセンスがす・て・き

エレガントに年を重ねることは一朝一夕では成し得ません。

家で犬と戯れる色気のない己の姿に、恥ずかしさすら覚えました

しかも、ぎっくり腰のせいで、この2週間フラットシューズしか履けず、毎日同じ洋服を着ていました

これではいかんいかん!

美容医療に携わる身として許せない!

 

幸い、私の周りにはカッコいい60代女性がたくさんいます。

彼女らをお手本に、私も気張って生きることを宣言いたします。

私なりの「カッコいい60代」を目標に、充実した毎日を過ごして参ります。

 

 

 

大学受験とぎっくり腰

久々にやってしまった『ぎっくり腰』

3~4年ぶりでしょうか。

毎月定期的に通っていた整体ですが、ここ1か月以上おさぼりしたことが仇となりました。

そろそろ行かなくては・・・と、日曜日に予約していたのに、予約2時間前にビリビリビリと腰部に稲妻がどっかーん。チーン。

起床時から腰が重たくて嫌な感じがあったのですよね。

それなのに長時間犬とお散歩したのがまずかったのか、何なのか。

 

先月から息子の大学受験がスタート。

大学受験って長丁場で、1月15日の共通テストから始まり、2月25日~26日の2次テストまで1か月以上も続きます。

第一志望に受かって欲しい、

自力で合格を掴んで、

自信を持って人生を歩み始めて欲しい。

親は祈るしかなくて、

犬と一緒に近所の神社まで足を延ばしたところ、グリコのおまけが『ぎっくり腰』

きっとこの代償で夢は叶う

と信じることにしましょう。

 

そういえば、今日は2月1日。

東京の中学受験日ですね。

今年の受験は落ち着かない日々が続いていますので、受験生とそのご家族は気を揉んでいることと思います。

無事に終わるといいですね。

でも、それだけ気になる対象がいるというのは、なんて幸せなことだろうとも思えます。

子供に感謝しつつ、静かに日々を過ごしております。

 

ところで、ぎっくり腰になった直後は身動きできませんので、安静にしているしかないのですが、これが結構キツイ

寝返りも立ち上がることも困難となってしまい、要介護生活ってこういうことなのね

お年寄りに優しくしなくっちゃ!と体感したのでした。

今年はしっかり筋トレとストレッチをやるとしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

家族問題

明けましておめでとうございます

お正月というのもは、『家族の絆』について改めて考えさせられるタイミングです。

思い返せば20代独身の頃。

両親とどこか初詣に行った時のこと。

視界に入る光景は、子連れの家族ばかり。

「ああ、夫も子供もまだいない私は寂しいものだなぁ」と自分を哀れんだことを思い出します。

微妙な年齢で両親と過ごしていることに、漠然と不安を覚えていたのでしょうか。

※個人の感想です

 

皆様はどのようなお正月休みをお過ごしでしたか。

私は4年ぶりに夫の両親宅を訪れました。

80歳近いお二人ですが、まだまだ元気です。

2人とも働き者で、せっせと動きます

義姉とも久し振りに再会を喜びました。

私の子供たちも、田舎の家が大好きで、毎年年末から泊まりに行っています。

昨年はコロナで行けなかったので、とても嬉しそうでした。

義両親も義姉も、子供たちや私まで大切にして下さる愛情深い人たちで、山口家は優しく温かいムードに包まれます。

家族っていいなぁ、としみじみ。

 

それと正反対な私の実家。

母が病気をしてから家族ばらばらです。

仕方ないので、個別に会いに出かけます。

いろいろと複雑な事情があり、温かい家族というものに終わりを告げたようです。

子供の頃は大変幸せな家庭で育ったと思っていましたし、

結婚して子供が産まれてからも、両親は協力的で、働く私を全面的にサポートしてくれました。

母が病気になるまでは

家族1人が病むことで、家族の絆にここまでひびが入るとは、1ミリも想像していなかっただけに、残念です

でも、昔が良かったから仕方ないか、と吹っ切れる気持ちもあります。

禍福あざなえる縄の如し。

幸い、皆精神的に自立しているので、互いの依存心がありません。

別々に暮らしているので、会わない限りは特に問題もなく過ごしています。

母も父も、それぞれ友達に恵まれている様子で、案外楽しそうにやっています。

年老いた両親には、ストレスを溜めないよう、清々しく生きていて欲しいものです。

 

家族模様は外からだけでは決して見えない問題がいろいろあるものです。

あまり口外しませんからね。

家族について、いろいろ考えさせられたお正月でした。

 

本年もよろしくお願い申し上げます

 

 

 

 

若者の未来を応援したい

何年ぶりでしょうか、クリスマスツリーを飾ってみました。

これ、レンタルツリーです

モノを増やしたくない私にはとても嬉しいサービスです。

最近、娘が我が家の環境整備大臣になりまして、部屋をきれいに片づけるだけではなく、このようにプラスαの味わいも提供してくれます。

乾いた心を癒してくれるので、本当に有難い存在です。

振り返れば、家族とこのように季節を楽しむ余裕なんてほとんどありませんでした。

仕事優先のダメ親でした

 

さて、本題に入りましょう。

社会の変化がハイスピードなのか、

自分自身がそれ以上に変化しているのか、

もしくは変わっていないのか、

何が原因か分からないのですが、

肌で感じる違和感にハッとされられることが増えたように思います。

 

NewsPicksという有料オンラインサイトを時々見る(聴く)のですが、

落合陽一さんとひろゆき氏の対談が目に留まり視聴した時のこと。

「結婚することの意味って何でしょうか?」

「コスパじゃないですか。」

 コスパですか・・・

「結婚すると扶養控除がつく」

 それって、専業主婦(主夫)前提ですよね・・・

「子供が産まれなかったら金銭の問題だけじゃないですか?」

何という身も蓋もない話をしとるんじゃー!と、呆れながらもリプレイして聴き直してみたところ、

事実婚ではなく籍を入れることの意味、という論点でのディスカッションでしたね。

生活コストは折半できるし、

共働きであれば、どちらか片方が病気などで働けなくなってもリスクヘッジできますものね。

確かにコスパ

でも私なら、愛の大切さとか、子供を育てる幸せとか、家庭を守る忍耐力とか、そういうウェットな話をするんだけどな、と思ってしまいました。

私が結婚した理由は、人生の経験値を増やしたかったことと、子供を産んでみたかったからです。

自分のDNAを受け継ぐ子供ってどんな子だろう?

お金のことなど全く考えませんでしたけれどね。

これって、男女脳の差なのでしょうか、年齢の違いなのでしょうか、個人の考え方なのでしょうか。

 

あまり年齢を意識するのは好きではありませんが、

自分自身が「老害」に片足突っ込んでいないか?と思う瞬間があります。

よくあるのが、無意識に思っている「~あるべき」論が頭を見せる時。

誰よりも柔軟に物事を考える方だと自覚していたのに、

気付けばステレオタイプ化している自分がいる瞬間に気づくこともあるわけです。

「あるべき論」に支配されないように意識したいものです。

 

しかし、異なる時代を精一杯生きてきた高齢者に対する尊敬の念はありますので、何でもかんでも十把一絡げに「老害」と一言で片づけるのも気に入らないのです。

いい歳した大人が若い世代に取り入るような姿勢の裏には、得体のしれない軽薄さすら感じてしまいます。

 

とは言え、老害とならないよう学び続け、自分の出来ることに取り組んで少しでも社会の役に立とうと思うわけです。

そのために読書でインプットしているのですが、最近読むスピード(理解力?)が落ちるし、集中力も低下しています。

読書ってエネルギーが必要なんですよね。数年前まではあまり感じなかったのですが、最近は元気がないと読めません。

日々の診療で患者さんとたくさんお話をするのは大好きなのですが、顔に対する施術を行うにはそれなりに集中力が必要です。診療での集中力が落ちているとは感じませんし、今でも治療結果は向上しているとさえ思っているほどです

※記憶力は低下しています

ということは、人間としての年間総エネルギー量が落ちているということなのでしょうか。

あれしたい、これしたい

あれ欲しい、これ欲しい

愛したい、愛されたい

そういう自己を満たすような欲求が、消えゆくロウソクの炎の揺らめきのごとく、小さく小さくなっていきます。

それと反比例するように、これからの若い世代の人たちが活躍できるような社会にしたいという思いが膨らみます。

幕末の志士たちのような20~30代の人たちが、これからの日本を良くするために活躍できる世の中になって欲しい。

停滞中の日本を見限って、優秀な能力を海外へ流出させないようにして欲しいと心から願います。

 

遣唐使に思いをはせて

日本の歴史、特に古代~奈良時代に魅力を感じています。

20代の頃から日経新聞を読むのが日課でして、

文化面に連載小説がありますが、

今ちょうど『ふりさけ見れば』(阿部龍太郎作)を毎朝の紅茶と共に楽しんでおります。

遣唐使として唐に渡り、玄宗皇帝に取り入れられ、日本への帰国が叶わず一生を唐で終えた阿倍仲麻呂が主人公です。

阿倍仲麻呂といえば、百人一首にある「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」で有名ですね

西暦700年代が舞台。日本は天皇を中心とした新しい律令国家を作るために、古事記や日本書紀が編纂された頃のお話です。

物語の詳細は省略しますが、

今朝驚いたことは、昔の人の時の流れる感覚距離感です。

日本からの使者は、海に近い❛蘇州❜という場所にいて、

皇帝に対面するために❛洛陽❜という内陸の都市に行くことになりました。

中国大陸は広いので、一体どのくらいの距離を移動するのだろうか?とgoogleで調べたところ、

937.1㎞、現代の車移動で9時間35分かかるそうです

(ちなみに、東京⇔福岡の距離は1072.2km、車移動で13時間2分です。)

この移動をするために、2月10日に蘇州を出発し、3月15日前後に洛陽に着く予定だと書かれています。

そして4月1日に皇帝に謁見するとか。

 

移動に1か月以上ですよ・・・

移動は馬に乗るのか歩くのか知りませんが、起きている時間の大半を移動に費やし、その時間は一体何を考え、どんな景色を観て、皆と何を話していたのでしょうか?? 移動中、体が辛いとか、お腹が空いたとか、あの娘可愛いなとか、何を感じていたのでしょうか??? どんな宿に宿泊し、何を食べていたのでしょうか。山賊に襲われる危険はなかったのでしょうか。

昔と今を比較すること自体ナンセンスかもしれませんが、生活様式があまりに違いすぎることに、違和感を感じずにはいられません。

中国から仏教など学んできたエリート日本人が残した書物、経典、仏像、美術品、建築などは、1000年以上経っても輝きを放っています。

私など一生かかって何を残せるのかと、己の生きてきた道のりが驚くほど軽薄なことに嫌でも気づかされてしまいます。

 

先日、学会帰りに奈良を再訪した時、遣唐使船の実物大のレプリカを見ました。

「こんな木の船で、荒波を乗り越え大陸に渡ったの?」というような小さい船でした。

日本という国家の基礎を築くために、命がけで大陸を目指したエリートたち。

江戸末期に渋沢栄一や薩摩・長州の武士たちが欧米諸国へ学びに行きましたが、それより1000年以上前のことですから、遣唐使の方々には本当に頭が下がります。

物質的な豊かさは満たされた今、我々は何を求め、何を学びに、どこに行くべきなのでしょうか。

そのような哲学的な問いを立て、思考する時間を得るためにも、1か月くらい歩いて移動する時間は貴重なのかもしれませんね。

奈良を観光する時、ついつい効率よく巡ろうなどと欲が出てしまい、観光タクシーを利用してしまうのですが、

先日患者さんから、

「先生、奈良は是非歩いて回ってくださいね。」とアドバイスを受けました

そうですよね、時短のために使うテクノロジーが、どれだけ地球に負荷をかけ環境破壊につながるのか猛省

賢者は歴史に学ぶ、ですね。

 

 

 

 

 

恩返し

勤務医だった若かりし頃、医師という職業柄か、私は年上の人から色々な恩恵にあずかっていたことを思い出します。

研修医の給料は激安でしたし、若さ故の図々しさと言いましょうか、喜んで頂戴していました。

モノだけではなく、食事にご一緒したり(やましいことはありませぬぞ主に女性です)、自宅にお招き下さった方もいました。

困ったときに手を差し伸べて下さる優しい方も

また、物事の考え方とか暮らしの工夫など、生きる上での知恵も授かりました。

人生の先輩方に、たくさんのご恩を受けたことを深く自覚し、感謝の念に堪えません

 

月日は流れ、いよいよ中高年になった自分が、若い人たちの役に立てるようなことをしたいなぁ、と思えるようになりました

近年いろいろな人のお世話になる(サービスを受ける)ことが多く、20~30代の若いしっかりとした、感じの良い青年と出会う機会が続いています。

「こんなに気の利く若者たちがいるのなら、日本も捨てたもんじゃない」と思うわけです。

不動産屋さん、お掃除サービス、仕事絡みの営業担当、弁護士、医師、整体師、タクシードライバー、駐車場バレーサービスなどなど。

熱心な働きぶりとコミュニケーション力の高さに感心すると共に、純粋に“プラスαのお礼”をしたくなるものです。

欧米でのチップのようなものでしょうか。

※手前味噌ですが、当院のスタッフも愛情溢れる思いやりのある接客をしてくれます

 

自分が応援したい人に「ありがとう」の気持ちを込めてお金を使えることは、幸福度が増す行為だと思います。

老後のための生活費を貯蓄したり運用することばかりがメディアでフォーカスされていますが、それはちょっと違うかな?と思っていつも聞き流しています。老後2000万円問題とか言って煽っていますよね。

ただ貯金を殖やしても、インフレが来ればお金の価値など下がってしまいます。

若い時には、自分のスキルアップのために自己投資するほうが、よほどリターンが大きくなると思うのですが。

大切なのは「使い方」であり、貯めることではありません。

応援したい会社への株式投資はまだ理解できますが、自分のお金が何に使われているか分からないような金融商品にお金をつぎ込むのは、いいお金の使い方とは思えません。

募金は本当に困っている人のところに届く前に、運営事務局がかなり搾取しているという話も聞きます。

私は、直接ご縁のある人たちに、応援目的でお金を使うように心がけています。

何か物を買うときは、極力国産のものを買うようにしています。生産者が見えるようなものがいいですね。

 

お金の集め方・使い方の話は、日本では敬遠されがちですが、私はとても大切なことだと認識しています。

お金は人を自由にさせてくれますし、チャンスも増えます。

経済的自立こそ、自己肯定感を高める大切な要素です。

そして、人のために使える喜びを噛み締めた時、大人になったな、と感じるのではないでしょうか。

 

私の周りには、被災地や病院に多額の寄付をしたり、ボランティアに参加したり、チャリティーパーティーに参加したり、芸術家のパトロンになるなど、ダイナミックな行動をする人生の先輩方がまだまだいらっしゃいます。

人間関係は財産です。

良い刺激を与えて下さった善い先輩方を見習って、少しずつ恩返しをしていこうと思います!

 

 

白銀の冬

2年毎に区の婦人科健診を受けています。

有難いことに、私は婦人科疾患から無縁でございますっ

特に出産後はさらに健康になりました。

子宮筋腫も内膜症も月経困難症もなく、超音波検査では「子宮も卵巣もキレイですね」と褒められます

そんな私も人生の秋を迎えまして、いよいよ枯れ行く裸体に時の残酷さを感じずにはいられません。

先日、熱海のMOA美術館で、葛飾北斎の富嶽三六景と歌川広重の東海道五十三次を鑑賞しましたが、浮世絵に出てくるコミカルな庶民派おじさんと自分自身が重なり、もののあわれなりけり

 

婦人科で頂いた更年期小冊子に、とても印象深い一節がありましたのでご紹介しましょう。

 

一本の樹を思い浮かべて下さい。

花盛りの春から、緑濃い夏を過ぎて、いまは紅葉の秋。

これから美しい白銀の冬がやってきます。

・・・・・

 

女性の一生を樹木に例えていますが、

「これから美しい白銀の冬」

とは、何て甘美な響きなのでしょうか!

50代は紅葉の秋。

枯れ行く落ち葉が“抜け毛”のようで、もの悲しく感じますが、60代からは白銀の冬が待っているなんて

全ての音は雪に吸収され、静寂の中にも美しさを解き放つ銀世界。

人生の秋冬コレクションはどんなテイストにしましょうか?

 

更年期といえばホルモン補充療法。

女性ホルモンが減少すると、ほてり・ホットフラッシュ・めまい・イライラ・疲労感・無気力など様々な更年期症状が現れます。

美容的には、皮膚の水分量低下、コラーゲンが減少してシワが増えるなど、見た目の老化も加速します。髪も細く薄くなります

仕事柄、ホルモン補充療法についてよく質問されますが、

私の考えは、更年期症状が辛ければ、それを和らげる目的で使用すれば良いと思っています。

マイナスのQOLを底上げできますからね。

長期のホルモン治療は乳がんのリスクが高くなることもあるようです。医療を受ける際は、リスクとベネフィットを天秤にかけて判断するようにしたいものです。

通常は3~5年程度で、更年期症状が治まれば治療を終えるようですが、中には死ぬまで若々しさを求めて続けることもあると、婦人科の先生はおっしゃっていました

私は更年期症状で悩むことはほぼゼロですので、今のところはホルモン補充療法を受けておりません。

特に困っていることもないけれど、美容目的でやりたいというのであれば、まずは食生活や運動など生活習慣の改善を心掛け、プラセンタやサプリなど活用し、レーザーやボトックス・ヒアルロン酸注入で肌の若返りを計ればよいのではないでしょうか。そして何より効果的なのは、愛すべき対象へ十二分の愛情を注ぎ、幸せホルモンで心を満たすことでしょう!最近患者さんを診ていて思うことは、ペットやお孫さんはもちろんのこと、“推し”を見つけて応援活動することも、かなり心の安定に繋がっているような気がします。“推し”の話をする時は目の輝きが違いますし、良い感じに表情筋が緩み、口角は挙上して、とてもチャーミングな微笑みを見せてくれます。

 

自分なりの素敵な「白銀の冬」を考えながら、穏やかに紅葉の秋を過ごしたいものです。

 

 

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