医療法人社団晴栄会
白金ビューティフルエイジングクリニック

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仕事と遊び

目黒川はピンク色イルミネーションが輝き、クリニックには真っ赤なポインセチアとクリスマスソング。

「今年も終わりですねぇ、本当に早いこと。」

あぁ、またこの季節がやってきました。

師走というだけあり、何となく気忙しい12月。

診療は気持ちが集中するので脳が疲労します。

キレイになれる希望と喜びを感じていただけるよう、スタッフともども全力投球。

9時から17時頃まで診療すると私の集中力は途絶え、脳が興奮状態になってしまうので、なかなか落ち着きを取り戻せません。

最近、クールダウンするまで時間がかかるようになりました。

 

子供が小さかった頃は、早く帰らないと!迎えに行かないと!と、物理的時間に追われていましたが、今はそうでもなくなったからでしょうか。

気持ちは結構ゆったりとしているのです。

「先生はお忙しいでしょう・・・」と良く言われますが、嫌なことは遠ざけているせいか、それほど忙しいと感じていません。

自分時間も確保できるようになりました。

休日に愛犬を膝に乗せて読書する時間が至福です。

 

今年はたくさん旅行もできました。

振り返れば毎月どこかに出かけていましたね。

東京を脱出し、大自然や知らない土地に触れることが私のエネルギー源。刺激やインスピレーションがあります。

遊び時間を確保しながら仕事では目標を達成することは譲れないので、遊びも仕事も真剣にならざるを得ません。

美容医療は夢のある仕事ですから、楽しくパワーを充電しないと良い仕事は出来ません。

 

子供の頃から遊び大好き、遊ばない人生なんて考えられないと育ってきました。

両親も良く遊んでいました。

でもちゃんと働いていました。

 

遊ぶのにも相当エネルギーを使います。

だから真剣。

 

遊ぶために働く。仕事のパフォーマンスを上げるために遊ぶ(脳の休息)

これ、私の人生哲学です。

 

※ちなみに私の遊びとは、テーマのある旅、歴史や文化・芸能に触れること、スポーツ、知らないことを学ぶこと、日本酒について掘り下げること、楽しい仲間と美味しいものを食べることなどです。

 

 

 

 

利休の美学

先週は日本&国際美容外科学会が京都で開催されました。

世界中から美容外科医が集結した、特別な学会です。

私が美容外科の世界に入門した2000年春、思い返せば国際美容外科学会が東京の八芳園で開催されていました。

ライトアップされた桜が輝きを放ち、憧れの美容外科の世界に身を置くことができた高揚感は今でも忘れません。

その時初めてBOTOX治療の発表を聴き、注射するだけでシワが伸びてしまう治療があることに仰天したことを思い出しました。

 

時は流れ16年。

最近学会に参加して考えることは、「美とは何か」

今回は学会の合間に、大徳寺を訪れました。

そこで出会った『茶室』

3畳の小さな空間に惹きこまれました。

無駄がなくすっきりして、この上なく美しく。

侘び寂びの美。

私が行う美容医療で目指している美は、まさにこの茶室に答えがありました。

古いものの中に奥深い味わいがあるのに、何となく清々しさも兼ねています。

華美な装飾は無用。

シンプルで美しい。

この茶室のように歳を重ねることはできないでしょうか?

私は、狭い茶室の中で暮らしてみたいとすら思いました。

丁寧に掃除をして、極力無駄を省く暮らし。

お化粧せずとも、着飾らなくても、年齢にかかわらず美しくいること。

 

そんな話を患者さんとしていたら、

「歳を取って“美”を求めるのは無理でしょう。少しだけ若々しく元気でいられたらいいのよ。」と仰っていました。

「美はトータルだから、肌と髪をお手入れして、体を鍛えてスタイルを維持し、洋服や装飾品もそれなりのものに揃えて・・・そんなことやっていられないでしょう?」と。

「キレイにすることばかりに専念する生き方は私の哲学に合わない」と。

仰せの通りです。100%agreeです。

患者さんとこのようなディスカッションが出来ることに喜びを感じました。

 

それにしても、加齢と美は結び付かないのでしょうか?

しかし私はここを結び付けたい。

いくつになっても美しさというものを見つけていたい。

 

私はいつでも影響を受けやすい性質があり、利休のお茶の世界が気になって気になって、いろいろ調べてみました。

利休とは利を休めるということ。

私もこの辺で利を休めて、侘び寂び美容を哲学しようと思います。

 

 

 

 

 

老後をいかに過ごすか

敬老の日前日。

76歳の父と、高校生の娘と3人で、95歳の祖母へ会いに行きました。

95歳が生きているので、76歳の父はまだ敬老扱いされません。

数年前から老人ホームに入居している祖母ですが、驚くことに全くボケないのです 😯

体はそれなりに弱ってきていますが、自分で歩けますし、元気な90代だと思います。

家族と同居できなくても、何の不満も言いません。自立しています。

一般的に、高齢者が入院したりホームに入居するとすぐにボケると言いますが、祖母は全くあてはまりません。

奇跡です。本当に頭がしっかりしています。何故だろう?

私なりに観察して感じたことを述べてみます。

これは、老後の生き方の参考になると思います。

⓵ 知的好奇心の塊のような人:
一人でも十分に楽しんでいることが分かりました。
毎日ラジオやテレビで、古典や語学講座を聴いて知識欲を満たしているようです。
今日は、先日聴いた古典講座の「宇治拾遺物語」の一話を私たちに教えてくれました。
年老いて目が悪くなっても、このような楽しみ方があるのだなぁと感心します。
ちなみに私が子供の頃から、万葉集を読んでいたような記憶がありますし、俳句もやっていました。
若い頃からの趣味が今でも生きています。
老人ホームに入っても続けられる一人の趣味の世界を持っていると強いですね。

⓶ 麻雀をやっていた:
若いころから友人と麻雀をやっていたので、頭と指を訓練していたのでしょう。
「老人ホームで一緒にやった人がいきなり5ピン(筒子)から捨てたから、こりゃだめだと思ったわ。」と。
これには笑ってしまいました。
ちなみに子供のころからピアノもやっていたので、これも指の訓練になったのでしょうか。

⓷ やりたいことをやる:
結婚してから、3つやりたいことがあったそうです。そのうち2つはクリアしたとのこと。
・車の運転・・・インド駐在中に車の免許を取った。
・社交ダンス・・・ある程度やった。
・英会話・・・これは不十分だったと反省していました。

⓸ 多趣味:
茶道、テニス、歌舞伎鑑賞、ピアノ、麻雀、社交ダンス、ドライブ、古典勉強会、海外旅行、、、 いろんなことをやっていました。
専業主婦の強みでしょうか。

⑤ 自立:

70歳で未亡人になってから、ずっと一人暮らしをしていました。

子供に頼ることなく、しっかり生きていました。90歳くらいになると病気やケガをしたこともあり、さすがに一人暮らしも大変になってきたようで、老人ホームに入りました。

 

 

以上、私なりの考察でした。

貴重な大正生まれで、まだまだいろんな話を聞かせてほしいです。

東京オリンピックの年には100歳、それまで元気に生きてもらいましょう。

ゴルフ部再会

大学のゴルフ部創部50周年パーティーに参加しました。

ゴルフ部のOB会やコンペなどは卒後全く参加したことがありませんでしたが、私もだいぶ余裕が出てきたのか、ふと行ってみようという気持ちになりました。

いや~懐かしかった!

こんなにも瞬間的に昔に戻ってワイワイやれるとは期待していなかったので、あまりに楽しくていまだ余韻が胸に残っています。

合宿の話や、いろいろ馬鹿なことをやった思い出話など。

プライベートでそれほど親しくしていなかったものの、やはり試合で遠くへ遠征したり、集団行動が多かったものですから思い出はたくさんあります。

朝5時からセルフでバックを担いで、毎日1.5ラウンドを続けた合宿は辛かったものの、努力すれば上手になってスコアが縮むのが楽しい日々でした。

選手になりたくて休みの日は練習場に通いました。

合宿ではゴルフ日記をつけました。

家でもパターの練習をしました。

同期の女子たちと涙を流したこともありました。

医学部のゴルフ部は厳しい上下関係と独特の雰囲気があり、自由が大好きな私にとっては時に息が詰まり、何度も退部しようかと悩みましたが、引退まで続けることが出来て本当に良かったと、昨夜のパーティーで思いました。

厳しい先輩の指導も今となっては有難く、感謝の気持を抱きます。

2次会終了後、お店の前に整列して、おごって頂いた先輩に深々とお辞儀をしながら「ありがとうございましたー!!」とかける号令の懐かしいこと!

女性の後輩と久し振りの再会を果たし、みんなきれいで知的で、お仕事も家庭も両立して頑張っている様子で嬉しく思いました。

残念ながら先輩女性が出席していませんでしたので、いつかまた再会できたら・・・と願います。

 

そして今日、息子とゴルフの練習に出かけました!

バッティングセンターもはしごしまして、運動を楽しむ母の日に万歳でした。

新緑祭り2016

いよいよ本日から毎年恒例の『新緑祭り』が始まります!

今年のテーマは『素肌ルネサンス』

ルネサンス⇒再生・復活 をイメージして・・・

 

今年の春は、クリニックにとっても私自身にとっても転換期です。

クリニックのスタッフはガラリと入れ替わりましたし、今年は10周年ですので新しい計画を実行中です。

お客様の数も増え続け、予約が取りにくくなっている状況も何とかせねばと思案中。

10年経つと、いろいろな機器が古くなってきますので、これらも順次新調していきます。

そして10年蓄積した治療データも集計したいです。

プライベートでは、子育てが一段落。下の子もようやく中学生になります。

3月は小学校と中学校の卒業式がありました。

身長も抜かされます・・・

体力は全く敵いません・・・

そういうわけで、クリニックも私自身も含めて、今後のあるべき姿を見つめ直す意味を込めての

『素肌ルネサンス』というテーマにしてみました。

 

この春休み、子供たちを連れて屋久島に行きました。

ワイルド過ぎる大自然の中で、都会生活の快適さに慣れ過ぎた弱い自分に気が付きました。

自然の中ではゴミを出せません。

お水も大切にしなければなりません。

身軽に歩けるよう、荷物は最小限にする工夫が必要です。

とにかく自分の足で行って帰るしかありませんから、最後に頼れるのは自分の脚力のみ。

車も電車もありません。

自然の中で生かされている小さな私。無力な私。

樹齢何百年もの縄文杉と、森いっぱいに敷き詰められた苔の絨毯。

川や滝の水の音。鳥のさえずり。

癒されました。

出発直前まで痛かった仙腸関節のあたりの違和感が不思議と消えていました。

これって自然治癒力が高まったということでしょうか。

 

また、離島で暮らす人々にも関心がありました。

山岳ガイドのお兄さんも、フルーツ園や森のアスレチックで働くおじさんも、とても幸せそう。

毎日毎日同じことの繰り返しで、都会のような刺激や娯楽はなく単調そうですが、それでも彼らは自分の好きな事ができる喜びがあるのだと感じました。

町営温泉で地元の人に混ざって入浴した時は、よそ者の私たちにも優しく声をかけてくれました。

そして、のんびりしていました。

 

たくさんパワー充電しましたので、新緑祭りを頑張ります!

内装も新たに、春のおもてなしで皆さまをお迎えいたします。

 

 

時代は変わる

本日、16年間お世話になった北里研究所病院での最後の外来診療を終えました。

思いがけずスタッフの皆さんから寄せ書きと花束を頂き、患者さまからも温かいお言葉を頂戴し、良い最終日となりました。

思い返せば1999年の春、北里研究所病院が新しい建物になって新規オープンした年、美容医学センターが出来たことを日経新聞で知りました。すぐに電話をして、見学の申し込みをしました。そして当時のセンター長である宇津木龍一先生に「働かせてください!」と直訴して、一度は断られながらもようやく掴み取った美容医療への道。そのスタートが北里研究所病院でした。私にとっては今でも『聖地』です。

時は2000年、美容医療元年とでも申しましょうか。当時の美容医学センターの人気ぶりは飛ぶ鳥を落とす勢いでした。まだ20代だった私には眩し過ぎるくらいの素敵なご婦人たちが通っていました。日々の診療を通して、彼女たちから沢山のことを学びました。

意気揚々と研修をスタートしたものの、すぐに結婚・妊娠をして子育てと仕事の両立の難しさに直面しました。それでも、センター長をはじめスタッフの皆さまの温かいご理解のもの、何とか数年常勤として働き続けることができました。私としても美容医療駆け出しの頃でしたから、甘ったれたことも言えません。夫の留学で別居しながら仕事を続けた時もありました。そのお陰で、いろんなことを同時進行させる能力が高まったと思います。言い換えれば適当にやる、諦める能力かもしれません。

2006年に自分のクリニックを開院してからも、気が付けば10年間、非常勤で外来を続けてきました。

今夜、娘と夕食をしている時、「お母さん、お医者さんっていつになったら一人前になれるの?」と聞かれ、「そうだね、お母さんはようやく今頃一人前になったと思うようになったわ。」と、返事をしていました。

そうなのです、本当につい最近、昨年頃から、ようやく自分のやっている医療に少しは自信が持てるようになったばかりでした。一人で独立して診療していますと、全責任は自分にありますから、患者さんにとって不利益なことはしてはならないという気持ちがいつも心にあります。そして美容医療はスタンダードがあるようで無いような曖昧なところもありますから、学会等で他の医師の意見も聞きながら、自分のやっている医療はどうなんだろうか?と考えないことはありませんでした。

しかし、患者さんがついてきて下さること、きれいになって感謝されること、ご家族やお知り合いをご紹介下さることの積み重ねで、自分の施している医療に少しですが自信が持てるようになりました。

ですからこのタイミングで、本当にお世話になった北里研究所病院とも「さようなら」なのだと思います。

 

他にもこの春は私にとって節目となることがたくさんあります。

ご存じだと思いますが、昨年暮れからスタッフが大幅にチェンジしました。

プライベートでは、下の子供が中学生になります。子育ても一段落です。

ここには書けませんが、まだまだいろんな変化がありました。

これらを踏まえて、4月から毎年恒例の『新緑祭り』を企画していますので、どうぞ楽しみにしていて下さいね。

 

君子の交わりは淡きこと水の如し

高校時代の親友がいます。

当時は毎日のように遊んでいました。

恋の悩みや勉強のことなど、何でも話し合った仲です。

結婚して子供を産んでからは、年に1回くらいしか会っていませんが、不思議と心が通じます。

会わなくても何だか分かるのです。

彼女はまだ子供が小さいし、お互い仕事をしているので、なかなか会えません。

私はずっと直接会うことに意味があると思っていましたが、先日誕生日のメールを送った時、「あ、会わなくても心が通じている」と感じました。

『君子の交わりは淡きこと水の如し』 大人になってようやくその意味がすっと入るようになりました。

 

いつもベタベタ一緒にいることが幸せなのは、青春時代の話。

でも、大切な人とは、たまに会って寄り添いたいですね。

 

 

為せば成る

今月お気に入りの言葉;

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」  上杉鷹山

よく通るお寺の前に、月替わりで格言が貼り出されている。

人は出来ないことにいろいろ理由を付けたがる。

忙しかったから・・・ とか、子供がいるから・・・とか、何とかかんとか。

そりゃそうだ。人生時間は有限だから、何もかにもできるというものではない。

だから物事に優先順位をつける。

順位の高いものは、何がなんでも「為す」

順位の低いものには、何やかんや理由を付けて「為さぬ」のだ。

この意識は、人生有意義に生きていく上で、とても重要なことだと思っている。

結構楽しそうに、欲張って生きている人は、たくさんのことを為しているように見える。

この「為せる」能力は千差万別であり、高度な能力がある人は豊かで幸せな人生を過ごすことが出来るのだと思う。

では、この能力に差が出来るのは何故か?

子供の頃からたくさんの経験・刺激を受け、柔軟な思考を持ち、好奇心旺盛であることが「為せる」能力を高めているのではないかと感じている。

特に海外生活を経験している人たちは、私にとって個性的で魅力的に見えるのである。

異文化を肌で経験すると、いろいろな考え方やモノの見方に触れることができるから、発想が柔軟になる。

そして日本にいては遭遇しない問題にぶつかることもあり、それらを解決する能力も磨かれる。

精神的に豊かな人生を送るには、人間の複雑な能力の集大成が生かされているのだろうと思う。

 

2月は受験シーズン。

受験も人生の通過点だが、第一志望に入れなくても敗北者ではない。

難関校に入れば人生バラ色というものでもない。

結果をどう受け止め、どう考えるかはその人次第である。

 

 

 

 

百人一首

今週末は美容医療について、たくさん勉強した。

まだまだいろいろな角度から、治療結果の満足度を高めることが出来そうな気がしてきた。

もっともっときれいに仕上げることが出来そうな・・・

美容医療の世界は日進月歩、学び続けなければクリニックの存続は危うい。

しかし、やればやるだけの結果が出ることも事実。だから全く苦にはならず、むしろ楽しい。

もっともっと治療レベルを高めて、患者様に喜んでもらいたい。

きれいな結果が出れば、私自身も最高に幸せだから。

 

医療以外には、変わらずボイストレーニングと英会話と料理教室も続けている。

10年前の従弟結婚式でのスピーチを録画したビデオを見たら、自分の声が全然違うことに気づいた!確実に進歩している、と思う。先生はアーティストだから、音楽についても学ぶことができて右脳が刺激される。

英会話はもっとレベルアップしたいところだが、日常生活であまり話す機会がないのが残念。機会を見つけては、自分の意見を臆せずしゃべりまくるよう心掛けている。

料理教室は、先生の繊細な感性と作業に惚れ惚れする。日本人にしかない感性! 正直、お料理はあまり得意ではないのだが、老後一人でもちゃちゃっと自炊できるように通っている。良い素材を選べば何とかなるだろう。

 

冬休みから、家族で百人一首をやっている。毎年、スキー旅行に行くと、夜行う恒例行事となっている。百人一首というのは改め読んでみると恋歌が多いような気がする。物悲しい響きもあるが、なかなかロマンティックな音色だ。現代ではLINEのような役目を果たしていたのだろうか? 今夜は息子と二人で対戦したら、負けてしまった。スキーも負けたし、これから追い越されるばかりだろう。だからこそ、年を重ねてこそ得られる知恵や深みのある大人でいられるよう自分自身を磨いていたいと思う。

 

白衣

私は研修医の時から、ずっとワンピース型白衣を着ている。

美人の先輩医師が着ていたから。

最初は森英恵デザインのものを購入した。Aラインのふんわりしたデザインが好きだったから。

白、ブルー、ピンク、グリーンを4着買って着まわしていた。

作業着だし、私服が汚れることもないから、何の疑問もなく着用していた。

自分で開業してからは、もっとデザイン性のあるエステティシャン用の白衣を着ている。

 

しかし! 今月はクリスマス月ということもあり、当院のテーマは“Disco Xmas”

スタッフ全員、黒のブラウスと金色スパンコールのスカート、そして髪にはスカーフを巻いてみた。

統一感を残したのが吉と出た。

私はボディコンシャスなワンピースを着たり、赤いニットやスパンコールのスカートを着ている。

これが患者様に大うけ!!している。

「先生、いいね~(^^♪」とか、「白衣要らない!」

「白衣は個性を消すからね。」とまで言われて、その予想以上のレスポンスに驚かされる。

私が調子に乗ってポーズをとったりすると、さらに喜んで下さる。

毎日仕事が楽しくて仕方ない。

 

白衣とか医者とか、既成の殻に私は閉じこもっていたのではないだろうか?

先日、忘年会の2次会で、強烈な個性を放つ人物に出会い、少し酔っていたこともあって思わず惹きつけられ挨拶をしてしまった。

その方のファッションやメークの表現力に圧倒された。好きだった。

 

結婚して15年、子供も2人いて、医師という職業。

無鉄砲に弾けまくっていた青春時代を卒業して、堅実に保守的に生きてきた。それが心地よかった。

必要な15年だったと思うが、白衣の中で私の個性が消えていた。

もっともっと面白いことを表現していきたいような、ふつふつと沸き起こる何かが胸の中で響いている。

 

今年は少し前進できたようだ。

来年からは白衣を脱ごうかしら。

 

 

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