医療法人社団晴栄会
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Blog院長ブログ

2021.10.26

自然 vs 東京

どうしても訪れたい場所があり、8月の夏休みに沖縄へ行く計画を立てていたのですが、緊急事態宣言によりやむなくキャンセルしたため、リベンジ沖縄

 

沖縄宜野座のサンライズです。

ビーチリゾートでの遊びは紫外線が恐ろしくて得意ではありませんが、広大な海を眺めていると、自分の生きる世界の問題などちっぽけ過ぎて取るに足らないような気がしてきます。

清濁併せ吞む、って感じでしょうか

水平線からの日の出は、オレンジ色の光が雲に溶け込み、自然の美しさに胸がジンときます。

今年は意識的に、『海×太陽』『海×月』を体感するようにしていました。

自然の美しさは最高の贅沢です

人工物で溢れかえる東京では決して味わうことのできない贅沢。

鳥のさえずりと蝉の鳴き声が脳に安らぎをもたらし、車や電車の騒音が皆無な世界。

海風が体感覚に、波の音が聴覚に、青空が視覚に響きます。

昔の人は、このような風景を日常として触れていたのですから、羨ましい限り。

毎日の暮らしと自然美が調和できたら、どんなに豊かな気持ちになれるだろうか、と想像するものの、東京での暮らしもまんざらではなく、それを放棄する勇気もないのが本音。

何といっても、文化・芸術・教育へのアクセスは抜群ですし、サービスの種類は豊富、質も高い。

自然への憧れは、ないものねだりのような気がします。

 

最近しみじみ思うのですが、私は美容医療の仕事が大好きなんです。

自分の経験とスキルが人の役に立つことの遣り甲斐と満足感。

新しい患者さんとの出会いも喜ばしきこと。

また、自分の言動1つが患者さんの気持ちに与える影響の大きさを痛感しています。

医者の一言は責任重大。

1人ひとりの心に栄養を与えられるような医療を心掛け、夢のある美容医療を提供し続けたいと思います。

 

東京での診療生活を続けながら、時々田舎の空気を吸いに出かけられたら、それで十分

この「時々」っていうのが微妙ですが、自分にとっての最適化を模索しています。

都会と自然のバランスを保つことで、仕事のパフォーマンスが上がることは間違いありません

 

 

 

 

 

 

2021.07.13

古の都

コロナ、オリンピック、環境破壊、異常気象、温暖化など世の中がますますおかしな方向に向かっています。

世界の安寧を祈り、日本の原点を感じるために、古の都・奈良を訪れました。

のどかな景色が広がる飛鳥地方。

万葉集に出てくる「天の香久山」とか「三笠山」が、間近で見られることに感激

あっちを見てもこっちを見ても古墳だらけ!

歴史の教科書で誰もが目にしたことのある高松塚古墳、キトラ古墳、卑弥呼の墓と考えられている箸墓古墳など古墳巡りも。

新しい建築物のために土を掘ると、古墳や遺跡が出てきてしまい、発掘調査のために工事が中断されてしまうので、この地方は開発が進みにくいようです。建物の屋根は瓦を使用しなければならないとか、高さ制限とか、建築の規制が結構厳しいとのこと。

だからこそ、1300年前と同じ景色が残されているのですね。

このまま開発が進まない方が、結果的に価値が出ると思いますので、切に願います。日本の原風景をお守り下さい

 

聖徳太子と蘇我氏vs物部氏による仏教伝来、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足の蘇我入鹿暗殺、壬申の乱、天智天皇と天武天皇と額田王の三角関係・・・歴史を振り、ドロドロの権力争いを想像しながら、ダイナミックに動いた時代の変化に興奮してしまいます

 

奈良時代と言えば、日本書紀と古事記。

日本神話も欠かせません。

初代天皇である神武天皇が九州高千穂から東に向かい、熊野で迷い八咫烏に導かれ到着した畝傍山の麓。

ここに橿原宮を造ったとされていますが、今の建物が実際に建てられたのは明治に入ってからのこと。

明治時代に天皇中心の新しい近代国家を作るための意気込みだったのでしょう。

 

この他にも神社やお寺などた~くさんお参りしました。

世界平和をお祈りしながら

奈良時代は飢饉や干ばつ、地震、凶作、天然痘の流行など、まさに災難続きの苦しい世の中でした。

科学で解明されていないことばかりだった時代ですから、最終的には神様、仏様にお祈りするしかなかったのでしょう。大陸から入ってきた仏教が政治利用されたのも必然だったのかもしれません。

 

人間が己の力を過信して、科学至上主義になっている現代社会に違和感を感じています。

奈良の飛鳥地方は最高の癒し環境でした

 

 

 

 

 

2019.07.26

ストックホルム

スウェーデンのストックホルムで夏季休暇を過ごしました

初の北欧旅行です。

いつも個人旅行ですので、あまり移動せず同じところに滞在するパターンが多く、今回もストックホルムonlyでした。

ヨーロッパもいろいろなところを巡りましたが、若いころは日本との違いに目を輝かせ、西欧文化に憧れたものでした。

しかしながら人生半世紀近く生きていると、見えてくるものが変わります。

今回の旅で感じたことは、「日本と西欧の歴史・文化の違い」です。

良いとか悪いとかではなく、「違う」ということです。

違いを挙げてみましょう。

①ヨーロッパ人はUVケアなどお構いなしで、太陽の光を喜んで浴びています。冬が長く日照時間の短い国では、太陽の恵みが嬉しくて仕方ないのでしょうか。ヨーロッパに行く度に思うのですが、彼らは太陽に向かって生きているような雰囲気です。シミ・しわが増えても気にしない?それよりも太陽の下で楽しむ時間が大切なのでしょうね。私は仕事柄、日を浴びることがストレスになってしまうので、ヨーロッパの人々のように楽しめません。日を浴びると皮膚がチリチリ痛痒くなってしいまいますので、UV対策は欠かせません。

②家族・友人とよく喋り、よく食べ、よく飲む!彼らの体力は半端じゃないです。コミュニケーションを楽しむことが幸福なんだろうと感じます。皆が集まっている場所でスマホやゲームを触っている人はあまり見かけません。これは羨ましいと思いました。

③トイレがジェンダーフリー

これ、分かりますか? 近代美術館のトイレですが、男女に分かれていないのです。これもジェンダーフリーの流れなのでしょうが、男性が出てくるので驚いてしまいます。すべてのトイレがこのようではありませんが、いくつか経験しました。

④脚が長い! 夏ですので短パン姿の若い女性が目につきました。マネキン人形体型はあり得ることに納得。スタイルが違います。

⑤スウェーデン王国ですから、今も王家の方々がお住まいになる宮殿があります。1600年代に作られたドロットニングホルム宮殿を見学しましたが、「北欧のヴェルサイユ」と呼ばれているそうです。ヨーロッパの宮殿を見るたびに富と権力の集中、階級社会を感じずにはいられません。日本にも皇室や貴族、江戸時代には士農工商といった身分制度はありましたが、規模が違います 宮殿に置いてある装飾品、絵画、壺など一点一点たいそう高価なものですが、それが山のように収集されているのですから、どれだけ搾取したんだろうかと当時の平民に同情してしまいます。私たちが観光して喜んでいる豪華な建造物の裏には、多大な犠牲があるという封建社会の影の部分もあり、手放しで感動できなくなりました。

⑥電子マネー先進国。カフェなどで現金お断りのお店がありました。両替なしで旅行できます。

 

日本人の性でしょうか、ついついあちこち観光したくなって、あれもこれもと歩き回り、強い日差しの中を毎日2万歩くらい歩いてしまいました。休暇なのにゆっくりできず疲れてしまい、娘からは「お母さん、休みなんだからゆっくりしようよ。」と言われる始末。いろいろ見てまわり、心に感動を刻みたいという欲求も、小さいときから資本主義社会に擦り込まれ支配されているのではないか?とうっすら疑問に思いました。せっかくの休みは、どこかに旅行しましょう(=お金を使いましょう!)という擦り込み?

リゾート地でゆっくり何もしないで過ごす楽しみ方ができないのですよ

2019.05.02

令和元年

いよいよ令和の時代がスタートしました。

皆様、奇跡の10連休はいかがお過ごしでしょうか。

いえ、サービス業にお勤めの方はお休みなどなく働いていらっしゃることでしょう。

私も5月2日~4日は診療しております。

 

平成から令和にかけて、伊勢神宮へお参りに行く予定にしていましたが、母親が平成最後に体調を崩しキャンセルになってしまいました

母と娘と女3代旅行を楽しみにしていたのですが、病気の母を残して行くのも心配で中止にしました。

先週は両親と娘を連れて弘前の桜祭りに行く予定が、娘は学校を休みたくないということで彼女だけキャンセルに。

思い返せば春休みは家族でトルコ旅行を予定していたのですが、こちらも娘の受験がらみでキャンセルせざるを得ない状況になりました。

今年は大好きな旅行が思い通りに運びません

私は旅で触れる物事から大きなエネルギーと知見を得て帰ってきますので、旅がなければ人として成長できないとさえ感じています。

定期的に東京を出て、見知らぬ土地を訪れることは、私にとって非常に大切なことなのです。

しかし、家族の存在はもっと大切です。

思い返せば、私の子供たちが小さいとき、医師という職業を続けながら子育てができるよう、母には大変お世話になりました。

親が老いたとき、病気になった時には、御礼奉公して当然のことだと思います。

小さな子供を2人連れて、海外や国内旅行を幾度も繰り返しましたが、仕事が忙しい夫に代わりいつも母が旅行をサポートしてくれました。

令和時代は、家族が健康で仲良くいられるようにしたいものです。

 

 

 

2018.08.23

宮古島へ行きました!

噂通り、透明な水色の美しい海でした!

お天気に恵まれ、家族で幸せなひと時を過ごすことができました。

青い空と海、水面に反射する夕日の輝き、満点の星空、自然すべての景色に神の存在を感じます。

生きる喜びと感謝を感じずにはいられない旅となりました。

 

美しい自然の裏には、沖縄の島々の苛酷な歴史があることをご存知ですか?

最近縄文にハマっていた私は、岡本太郎の「沖縄文化論」を読んでから宮古島に行きました。

江戸時代に入り間もない頃、琉球は薩摩の島津家に制服されます。

そして、苛酷極まる搾取に合うのです。(このあたりは大河ドラマの西郷どんにも描かれていますね)

宮古島などはもともと珊瑚でできた島なので、作物が育たず、本当に貧しいところだったと想像できます。

今日でも見渡す限りサトウキビ畑ですから。

そんな場所ですから、すべてのことは神様が決める、という心理状態になるのでしょうか。

原始的な神道のような信仰がありました。

神が降臨する場所を『御嶽(うたき)』というのですが、ここで祭りや祈りが行われていた(いる)そうです。

私たちは鳥居や御社のある神社をイメージしますが、そんな形はありません。

あったとしても石や木です。

本当に何もない極限までそぎ落としたとでも言いましょうか。

そこが信仰の場所なのに、後からやってきた薩摩の役人たちが、やれ神社だの寺だの造ったようです。

我々日本人がイメージする神道と違いますね!

土着の沖縄民俗があったのです。

 

旅好きな私は、その土地の歴史というものを知りたくなります。

宮古島へ行って、沖縄に大変興味を持ちました。

そもそも、ホモサピエンスは、台湾から石垣島を渡り、沖縄本土を通って、九州・本州に渡ってきた説があります。

1万年以上前には宮古島にも住みついていたのだろうと推測できます。

厳しい環境の中で、大陸の影響を受けながら育んできた島独自の言語や習慣。

 

今回の旅の前に、私に本とDVD(スケッチ・オブ・ミャーク)を貸してくれたスタッフの西田。

物知りな彼女に感心してしまいました。

 

 

 

 

2018.06.08

鹿児島旅行

西郷どんのふるさと、鹿児島県へ1泊2日の旅に出ました。

1日目は『明治維新編』ということで、主に鹿児島市内を巡り、西郷隆盛を始め幕末の志士たちの高い志に触れて参りました。

2年前から高知(土佐藩)、萩(長州藩)と旅をしてきましたので、今回の薩摩藩が明治維新の締めくくりです。

日本史・世界史問わず、旅に出るとどうしてもその土地の歴史が気になるものです。

都度都度、断片的な知識しか入らないのですが、それでも続けていると何となく繋がってくるもので、それが何とも人生を豊かにしてくれます。

数年前に朝の連ドラで「あさが来た」では、大阪経済の重鎮である五代友厚をディーン藤岡さんが演じていましたが、五代さんも薩摩出身。

テレビの影響ですっかり五代さんファンになったことが、薩摩を意識するようになったきっかけでした。

彼は幕末期に藩命で英国留学をしました。15人くらいでしょうか、留学した人たちのことを「薩摩スチューデント」と呼んでいました。

当時外国へ出たことが見つかれば死罪です。

それでも行動しました。

死を覚悟して、日本の未来を危惧し、日本を植民地化から守るために。

船で英国に着くまでの約2か月間で、英語をマスター。

英国についてからは、当時の最新技術を必死で学びました。

日本人は勤勉でとても優秀だと評判だったそうです。

 

ちなみに西郷隆盛は留学していません。

 

鹿児島地元では、西郷さんは圧倒的な人気でした。

視聴率が低迷しているとの噂ですが、私は『西郷どん』を毎週楽しみに観ています 😀

 

ああ、やはり明治維新で活躍した武士たちは、その志の高さに胸が高鳴ります!!

薩摩はやはり島津家が素晴らしかったのです。

島津家は800年も続き、そのルーツは源頼朝の側室の子供だったそう。

島津別邸の仙厳園というお屋敷も見ごたえありました。

 

旅行2日目は霧島神宮 😀

神話も好きなんです。

霧島神宮は天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が祭られている神社。

ニニギノミコトの子供が海幸彦、山幸彦。この2人、とても仲が悪く、山幸彦が勢力を握りました。

山幸彦の奥さんが豊玉姫。ワニ?のような姿になって子供を産みました。

ワニの子供の名前が鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)で、玉依姫と結婚して産まれた子供が神武天皇です!!

神武天皇は初代天皇ということになっていますね。

ここまでの流れの舞台が霧島を始め今の鹿児島県だったそうです。

日本のルーツです。

ちなみに平成天皇は125代天皇。

 

神社を訪れるたびに神話を振り返るのですが、どうしてもすぐに忘れてしまいます。

少しでも神話を知っていると、神社参りもぐんと楽しくなります。

そしてあの厳かな空気感が心を清めてくれます。

 

 

 

2018.04.10

高野山

当院では毎年恒例の『新緑祭り』が始まりました!

2013年から始めた『新緑祭り』 4~5月の2か月間です。

 

今年はボトックス祭り(^^♪

●まだボトックス未経験の方は、眉間のシワをスッキリ伸ばして目元を明るくする「レギュラーボトックス」からデビューして下さい。

●ボトックス治療経験者は、ワンランク上の美を追求して、フェイスラインから首にかけてのシワを伸ばしてスッキリさせる「リフトアップボトックス」

●初夏から気になるワキ汗、汗ジミ対策に「エチケットボトックス」ワキがサラサラになる感動をお届けします!

上記3治療は、私が自身を持っておススメします。

ボトックスはハッキリと効果が出る安全な治療です。私の治療経験は18年、自分自身も12年前から治療を受けています。

シワが伸びるから、安心して筋トレ中も踏ん張れますし、笑いジワも怖くありません。

ボトックスを良く知らなくて、ネガティブなイメージだけ先行して敬遠されている貴女!!

こんなに素晴らしい医療を知らずに、日々老化は進行し、加齢変化していく顔貌にため息ばかりでは人生もったいないではありませんか。

私も18年間で培った経験と技術がありますので、ご興味のある方には誠心誠意治療に当たりたいと思っています。

ちなみに当院に定期的に通ってくださる方の40%がボトックス治療を受けています。

実は当院ではとてもポピュラーな治療です。

 

話は変わりますが、先週高野山に行ってまいりました。

空海、密教の世界です。

数年前から何となく興味があり、訪れたい場所の一つでした。

空海さんは世のため人のためになりたいと仏教の道に入り、遣唐使として唐に渡り密教を伝授されて帰国。

その教えを日本で広めるべく、高野山に修行場所を作りました。

空海さんの教えは「欲は抑えなくて良い」ことが特徴。

欲は成長のために必要なもの。欲のエネルギーを良いことに使うべし。という考えだそうです。

お釈迦さまは「欲は抑えるべき」なので、ここの解釈は全く違うものでした。

お釈迦さまの原始仏教は2500年前からのもの。

密教は仏教にヒンズー教が混ざってできた新しい仏教で、原始仏教から1000年以上後になってできたもの。

時代が変わって、都合の良いように解釈を変えてきたのでしょうか。

私は「欲は悪いものではない」という考え方には賛成です。

子供の頃から欲まみれで、「あれしたい、これしたい。」「あれが欲しい、これが欲しい。」と主張しまくって両親を困らせたものです。

もちろん我慢しなければならない場面も多々あったと思うのですが、飽くなき欲望は結構満たしてきたつもりです。

欲=夢を叶えるために努力工夫する、というパターンの実現方法を身に付けると、いちいち欲とか夢とか考えなくなりました。

(あれしたいな、あそこに行ってみたいな、じゃあやってみよう) こんな感じです。

 

高野山には立体曼荼羅、素晴らしい仏像がたくさんありました。

如来、菩薩、明王、天。

最近、仏教美術に興味を持って少し学んでいたので、興奮してしまいました 😯

1泊ではとうてい見切れません。

宿坊に泊まり、精進料理を味わい、朝の勤行にも参加しました。

私の宿泊した宿坊は外国人ばかりで、皆さん熱心に日本文化を楽しんでいる様子でした。

またゆっくり出直そうと思うほど、高野山は神聖で気持ちの良いところでした。

 

ということで、今の私はとっても元気です!

十分にエネルギーチャージをして参りました。

皆さまに良い美容医療が提供できるよう、心の修行を続けるつもりです。

 

2017.08.16

ロシアを訪ねて

今年の夏休みはロシア旅行でした!

モスクワとサンクトペテルブルグ2都市を巡る旅です。

16年ぶりのツアー旅行でしたが、参加人数7名に添乗員付の至れり尽くせりツアーでして、すべてお任せ~の楽チン旅行でした。

エルミタージュは学生の頃から気になっていた場所でしたし、今回はロマノフ王朝について知りたくて訪れました。

サンクトペテルブルグの場所はご存じですか?

革命後はレーニンにちなんでレニングラードとも呼ばれていました。

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フィンランドに近いバルト海に面した、北緯60度にある都市です。

革命前はロシア帝国の首都でした。

300年前、有名なピョートル大帝が、何もない湿地帯に建設した人工都市です。

自然の厳しい最果ての地に、よくもこれだけの文化・芸術を集めたものです。

ピョートル大帝がヨーロッパ視察をしてから、(当時田舎だったと考えていた)ロシアを脱却すべく。イタリア・ドイツ・フランスなどから建築家や美術家を呼んで作らせたそうです。

時代はちょっと違いますが、明治維新から文明開化の明治時代を彷彿させます。

宮殿に使う大理石等の石は、イタリアやフランスから運んできたそうな。

冬は零下30度の世界ですよ!

工事は過酷を極めたに違いありません。

それなのにエルミタージュを始め、あちこちの宮殿や礼拝堂のゴージャスなこと!!

建物自体も凄いのですが、調度品・衣類・宝石・馬具・馬車・絵画・彫刻・・・よくぞここまで集めました。

ポイントはヨーロッパ文化を模倣して作ったものなので、ハプスブルグ家の豪華さとは何かが違うのです。

何もかにもがtoo muchで、人生断捨離の私は息苦しくなりました。

人間って本当に欲深いものですね。

現代とは規模が違い過ぎて比較になりませんが。

これら世界遺産のおかげで、世界中から観光客が集まり、ロシアには多大な恩恵をもたらしていることでしょう。

しかしその陰には、多くの市民の犠牲があったことは間違いありません。

だからこそ革命が起き、しばらく社会主義国家が続いたのであります。

 

実は1991年、大学1年生の夏休みに家族旅行でソ連に行きました。

この時は東のソ連、ハバロフスク、マガダン、ペベックというマニアックな都市を巡りました。

ソ連時代は物資が本当に何もなく、お店は商品もなければ活気もなし。

街中にはウォッカを飲みながらビンを投げつける酔っぱらいのおじさんがあちらこちらに。

断水当たり前、お湯も出ないので、10日間お風呂に入れずじまい。

食事中はハエがぶんぶん飛び回り、払いのけるのも諦めてハエと共にお食事。

シベリアの広い大地でピクニックをしたり、砕氷船に乗ってガンガン氷を砕いたり・・・

若かりし日の私には鮮烈な印象ばかりが残っています。

そして帰国直後にソ連崩壊、ペレストロイカです。驚きました。

あれから26年。

時代の変化や国によって価値観が異なります。

命の危険に晒されない平成の日本で過ごせることを有難く思います。

普段当たり前に思っていることが、世界へ出ると日本基準が特殊なことが良く分かります。

海外へ行くと、自分の立ち位置を再確認できるのがいいですね。

 

 

 

 

2017.04.17

ウィーン旅行

気が付けば桜もクライマックスが過ぎ、新緑が眩しい季節の到来です。

新年度の始まりですが、クリニックはスタッフの入れ替わりもなく、家庭内では卒業生も入学生もおらず、穏やかな時間経過でした。

院内では、毎年恒例『新緑祭り』が始まっています。

今年は“雲の上”というテーマで、院内にたくさんの幸せ雲を飛ばしています。

 

春休みは子供たちとウィーン旅行を楽しみました。

『ハプスブルグ家を訪れる旅』というテーマで、半年前から計画していたのですが、実際に調べたのは直前のこと。

実際現地に足を運ぶと、感動が全然違います。

石畳の街並みやバロック様式の建築物、数々の美術品やクラッシック音楽など、圧倒的な美しさに言葉を失いました。

ハプスブルグ家の桁外れな権力と富があったからこそ、あれほど芸術の質の高さを極めたのでしょう。

現代ではあり得ないですよ。

そして現代においても圧倒的な存在感を醸し出しているマリアテレジア。

マリーアントワネットのお母さん?くらいの知識でしたが、シェーンブルン宮殿や王家の教会、お墓など訪れますと、彼女の偉大さに心が震えました。

23歳で女王に即位、16人の子供を産みながらも優れた政治能力を兼ね備えた強い女性。

そして夫フランツ1世シュテファンを愛し、仲の良い夫婦で、驚くことに2人で同じ棺に入って眠っているのでした!

またこの棺のゴージャスなこと!!ハプスブルグ家の中でもその存在感は際立っておりました。

為政者として、母として、妻として、こんなに優れた女性が存在したなんて・・・いまだ興奮冷めやらずです。

 

本当は宝塚『エリザベート』から入ってハプスブルグ家に興味を持ったのですが、家系図を紐解いていくといろいろ繋がる繋がる!

以前旅行をしたドイツやスペイン、フランスで見聞きした人物や絵画とどんどん繋がる!

マリアテレジア様の孫がナポレオンの義父っていうのも面白い。

バルセロナのピカソ美術館で観た、ベラスケスの名画「ラス・メニーナス」の王女マルガリータ。

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こんな絵がたくさんあって、すごく気になっていたのですが、その王女マルガリータの原画をウィーンの美術館で発見したのです。

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この女の子はスペインの王女で、ハプスブルグ家のレオポルト1世の妃となるべくして生まれたとか。

幼い頃の成長過程を王様に伝えるために、王女の絵を定期的に描いて王様に送っていたそうです。

「ベラスケス マ...」の画像検索結果

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実はこの絵、怖~い意味が隠されているのですよ。それはまたの機会に。

 

ウィーンで得た感動もさることながら、この気持ちを子供たちと共有できたことが最も嬉しいことでした。

私達にとって、喜びや感動を共感できる家族や仲間は貴いもの。

「人生意気に感ず」

「肝胆相照らす」

これらの言葉が好きです。

でも、そういう人間関係って希少価値ですよ。

しかも、自分の持つすべての側面が一致している人なんていませんから。

今回はウィーンの歴史を通して、家族で感動を味わえたことに心から幸せをかみしめました。

帰ってから10日も経つというのに、まだ余韻に包まれています。

 

2016.06.09

高知を訪ねて

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沈下橋

高知へ行ってきました!

曇り~雨の予報が外れて晴れました!!

厳しい紫外線を感じましたが、ヘリオケア(飲む日焼け止め)を1日2回内服し、レイドラテラポーを塗って日傘の万全対策により、日焼けせずに過ごすことができました。初夏の涼しい曇った日は危険です。UVケアを怠って気づいたら日焼けの跡が・・・ということ、ありますね。

四国の歴史と自然に触れ英気を養い、美味しい魚とお酒に舌鼓を打ちました。

上の写真は高知城。
下は仁淀川の沈下橋です。
良く見ると、橋の柵がありません。こうすることで、川の氾濫によって橋が流されにくくなるそうです。
中央でジャンプしている小さな人は私。

旅は私にとっての生きる力。

好奇心を刺激し、知識欲が高まります。

感動の連続。

そして何より大切なことは、何処へ行くかよりも『誰と過ごすか』ということ。

一緒に遊びを楽しめる仲間が必要です。

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