医療法人社団晴栄会
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Blog院長ブログ

2023.03.08

ニュートック

アラスカにある先住民族の村、「ニュートック」をご存知ですか?

地図上でお示しします。

この辺りにユピック族という狩漁採集をしながら移動生活をしていた先住民族がいました。

1950年代にアメリカ合衆国政府が定住生活を強制し、学校を作り、このニュートックという場所に住まわせたということです。

ところが地球温暖化の影響でニュートックの土地は浸食され、永久凍土が溶け出し、そこに住み続けることが困難になりました。

住民は何とか政府から補助金を確保し、より安定した地へ移転することになりましたが、それでも人口の3分の1程度に過ぎません。村はバラバラになってしまいました。

このニュートックのドキュメンタリー映画を観て、脱炭素社会の実現に向けて何が必要なのか?というフォーラムに参加しました。

 

これは、気候変動難民の1例に過ぎません。

このまま温暖化が進むと、2060年には14億人が住む場所を失い、難民化するという試算があるそうです。

もう、待ったなしの臨界点に来ています。

本気でCO2削減に取り組まないと、後戻りできないそうですよ

日本は世界と比べると、まだまだ火力発電が多く、再生エネルギーの割合が少ないそうです。

化石燃料の輸入額は年間18兆円だそうです。

これを減らして、何らか国産の再生可能エネルギーを増やせば、何兆円という額が国内で潤うんですけれど。

最近は再生エネルギーも低コストになっているようで、太陽光を推進していました。しかし田舎に行くと、辺り一面に広がる太陽光パネル畑は自然と調和しておらず、あのパネルが劣化して廃棄される時のゴミ問題は大丈夫なのかしらと心配になります。

また、電気自動車も推進していましたが、電池に使うレアメタルの問題なんかはどうなんだろう?と疑問を感じます。

原発は稼働すると、結構なCO2を排出するらしく、おススメしていませんでした。というよりも、12年前の東日本大震災で原発の恐怖をみんな味わったはずなのに、いまだに原発??ですよねぇ。

世界人口は今もなお増え続けているし、物質的には豊かになり過ぎているから、欲望のままに生きていたら、そりゃエネルギー使用量は半端ないんでしょうね。

食料・生産消費システムは、CO2排出量の1/4を占めますが、牛肉がダントツに悪いみたいですよ。そのうち牛肉禁止令(禁牛)なんてものが出来たりして。牛肉の他には、羊肉、チーズ、ひき肉、チョコレート、コーヒーなどがCO2排出量が多いそうです。

個人レベルでの省エネは焼石に水です。社会システムを根本的に変えていかないと、CO2ゼロの社会を目指すことは出来ないのでしょう。

 

環境問題だけでなく、社会は様々な問題と矛盾を抱えています。

それが直接自分に関わることでないと、他人事のようにスルーしてしまう傾向があります。

自分の事で精一杯だったら、環境問題なんて二の次になっちゃいますよ。

しかし、この無関心こそが罪深いということを忘れずに。

私はいろいろな社会問題を意識して考えたいと思っています。

そのためにも自分の能力の5%でもいいから、余白を持てるよう心がけています。

そんな意識が、人生を豊かにしているように思います。

 

 

 

 

 

2022.10.18

ニッポンの医療

いつかこんな日が来るだろうと想像していましたが、父が倒れました

脳梗塞でした。

かかりつけの病院に救急搬送され、緊急カテーテル手術を受け、命は助かりました。

担当医師は分かりやすく丁寧に説明して下さるし、

看護師の方々は皆優しく真心こめて対応して下さいました。

感謝しかありません

 

今回の件で、日本の医療へのアクセスがどれだけ優れているかということを実感しましたので、記憶が鮮明なうちに記しておきたいと思います。

命には“運”があるとも感じました。

父は日頃から、かかりつけ病院と家族の連絡先を書いたメモをパスケースに入れて持ち歩いていたので(長生きしたかったらしく、このあたりの用心深さは感心)、救急隊がすぐに連絡を取ってくれたのだと思います。

たまたま外出先のレストランで倒れたので、お店の人がすぐに救急車を呼んで到着。かかりつけ病院のすぐ近くだったこともあり、発症から1~2時間以内で緊急手術を受けることができました。

家で1人だったらもうお陀仏でしたし、コロナ禍で医療崩壊が起きていたら、受け入れ拒否で三途の川を渡っていたかもしれません。

病院が他の患者の治療中だったら、これまた受け入れ不可。他の病院へたらい回しとなり、時間経過とともに脳梗塞の後遺症はひどくなるばかりです。

いくつかの奇跡が重なったからとは言え、救急車対応、病院対応は一流国だと思いました。

国民皆保険制度がなければ受けられない高度医療だと思います。

どこかの国のように、お金がない人は切り捨てられてしまう国となってもいいのでしょうか?

私は今回の父の件で、日本という国に大いなる感謝の気持ちを抱いています。

 

このような医療が当然のように受けられるニッポン

優れた人材や制度のおかげで、私たちは安心して暮らすことができるのです。

あ、言っておきますが、私が医師だからと言って知り合いがいる病院ではありませんので、コネなど全くございません。父が自分自身で長年通うかかりつけ病院だというだけです。

お医者さんが切磋琢磨して医療技術を磨かなければ、高度な医療は受けられません。

そして医師、看護師や技師さんなど医療現場で働くスタッフが不足しないよう、また疲弊しないよう人材確保しないと成り立ちません。

夏のコロナ第8波の時は、医療スタッフが不足して病棟閉鎖をしていた時期もあったと聞きました。

どんなにお金を出しても、人がいなければ医療は成り立ちません。

これからは医療が必要となる高齢者が増える一方、働き手は減少の一途をたどります。

将来、質の良い医療を国民が受けられるのか心配です

これからの日本を担う若者が立派に育つよう、やはり子育てと教育支援に力を入れないと、痛い目に合うのは我々大人自身だということをしみじみ考えさせられます。

老後2000万円とかお金の心配ばかりしている場合ではございません

教育に、人材に投資しないと

医療が当たり前に受けられることの有難さを痛感させられました。

安心安全の日本でいられるために、若者の未来を応援したいと思います。

2022.10.11

これからの成長を考える

戦後、日本は目覚ましい経済成長を遂げました。

1950年は世界のGDPが5.3兆ドルに対して日本の占める割合は3%でした。

1994年に日本のシェアがピークとなり、17.9%。

その後失われた30年の間にどんどん縮小し、2021年にはなんと5%まで低下してしまいました(世界GDPは96.3兆ドル!)

ちなみに2000年頃は日本と米国と英国のGDP合計が世界の約半分を占めていたのが、20年後の今では約1/3に減少したそうです。相対的にアジア勢力の力が強まったということです。

国の豊かさはお金だけで測るものではないと思いますが、「GDPは創出付加価値の総和であり、汗をかき経済活動をする総体を捉える概念」と寺島実郎氏は述べており、それに関しては私も納得しています。

終戦後、焼け野原で何もかも失った日本人が、豊かさを求めて必死に頑張ったのですぅぅぅ

人は何かやり遂げたいという情熱と、頑張れば良い未来が待っているという期待が持てるからこそアクセルを踏んで前に進めます

しかしながら、社会全体がある程度物質的に豊かになったことで、休みもなくモーレツに働く会社員の馬車馬人生に疑問を感じる人が増えたのではないでしょうか。

子供のころからある程度満たされた状態で育っていれば、そんなにガツガツしなくたっていいでしょ、と考えるのも自然の流れなのでしょう。

そして世の中がどんどん便利になっているから、人間易きに流れてしまいます。

ゆとり教育だの働き方改革だの叫ばれていますが、それは単に安易な方向に流されているだけのような気がしてなりません。

「まあそこそこテキトーに生きましょうよ。美味しいもの食べて、楽しいことができればそれで満足。辛い仕事なんてやる気ないし。政治経済は誰か頭のいい人たちがやってくれるでしょ。」これが日本人マジョリティーの民意だとしたら、私はとても悲しい

 

そういう私自身も、何だか最近テキトーに生きているなぁと感じることが増えました。

子育てが終わって暇になったからかなぁ。

嫌なことはやりたくないし。

眠たければ寝たいし。

診療は好きだけれど、そんなにガツガツやらんでもええんちゃう?(←エセ関西弁)

・・・なんて思うと、ありゃ?これぞ現代日本人を蝕む精神そのものではありませんか??

 

美容医療で何とか成功したい気持ちが強かった若かりし頃は、あれこれ必死にチャレンジしていました。自分で言うのもなんですが、まあいろんなことに手を出して、ときどき火傷しながらも何とか生き延びてきたもんです。成功の定義も難しいのですが、単純にたくさんの患者さんに来院してもらって、予約一杯になり、治療結果に満足してもらって、売上も上がっていくというようなことをイメージしていたのだと思います。

40代後半になると、開業という枠組みの中では、自分が出来る範囲のことはやった、ある程度結果も出せた、と思えるようになりました。すると今までのように右肩上がりの成長だけ望むことに違和感を覚え始めたのです。追い求めているものが違うとでもいいましょうか。でも、何を求めているのか自分でもよく分からないのです。

あれ?これって、私自身が今の日本社会の縮図そのものではありませんか

ある程度目標達成した後のユートピアが描き出せずにいるのです。

自分の人生を振り返っても、若い頃は成長を続けて、40代後半から停滞・・・という流れは、日本社会と非常によく似ています。これを放っておいて易きに流れ続けていたら、衰退の一途を辿ることは間違いないと思うのです。

 

先日、いつもお世話になっている白金の美味しいケーキ屋さんのケーキを食べながら、「もしケーキ屋さんたちが努力しなくなって、ケーキがどんどん不味くなってしまったら、私はとても悲しい そんなの嫌だ。」と思いました。美味しいケーキを作り続けるには、人々の不断の努力が必須です。日本人が努力することを放棄するということは、一流のモノやサービスを諦めることになりませんか?私はそんなの絶対に嫌だと思いました。

時刻表通りに出発する電車、清潔な公共設備、夜道でも女性一人で歩ける安心な街、落とし物が届けられる社会。

日本には世界と比較しても良いところがたくさんあります。それを失っても構わないと思っている人がたくさんいるのでしょうか。

戦後77年、この国は、世界は大きく変わりました。

今までの資本主義社会は限界に来ています。

GDPだけ追いかけるのは何か変。

新しく目指すべき社会の姿ってどんなものなんでしょうか。

脱成長?倫理資本主義?

世界中の哲学者や経済学者など有識者が議論を繰り返していますが、そんなに単純なものではなさそうです。

私自身が初老になり、これからの当院の目指すべき姿を考えることが、日本の在り方を考えることと重なることに気付きました。

まだ結論は出ませんが、若い人が夢を持って活躍できる社会(クリニック)にすることではなかろうか?という大雑把なイメージを持っています。

GDPが全てとは思いませんが、それに代わる基準が示せない以上、やはりGDPを捨てる勇気はなく、「誠意をもって価値ある仕事をしましょうよ」と言うのを今夜の結論にして終わりたいと思います。

2022.10.05

少子化問題

最近、個人的に社会問題に対する関心が超HOT、マイブームです。

YouTubeで政治に関する討論などを視聴したり、オンラインの勉強会などに参加してみたり、読書したり。

具体的には教育問題、選挙制度の問題、経済問題、少子高齢化問題、環境問題など多岐に渡ります。

私のような小市民一人が何か社会を変えられるわけではありませんが、いろいろな知識人の話を聞いて、自分なりに思考する時間が幸せであり、充実感に満たされます。

 

少子化問題について考えてみます。

世界共通して言えることは、文明化が進むと一人の女性が生涯で産む子供の数は減るということ。

日本では2021年に産まれた子供の数は84.2万人、合計特殊出生率は1.3。

2022年生まれの子供の数は80万人を切ると予想されています。先細りは必須。

もっと気になるのは、20代男性で交際経験のない人は約40%、20代女性では25%いるそうです。

ボーっとしていたら恋も出来ない時代になったのでしょうか。

それとも恋愛以外にも楽しいことがたくさんある複雑な世の中ということなのでしょうか。

もっともっと気になったのは、国勢調査によると、男性の生涯未婚率は正規雇用が17%に対し、非正規雇用は51%だということ。(女性はそれぞれ22%と8%)

男性は正社員でないと結婚しにくいということです。

それはいまだに男性が経済的に自立して家庭を支えていくという価値観が強いからです。

妻がバリバリ稼いで、非正規の専業主夫が家事と育児を主に担うというケースは確かに少ないです。

私の身近に知っている範囲でも片手で数えられる程度でしょうか。

男女間の伝統的分業が根深い日本社会独特のバイアスがあると思います。

いずれにしても、子供を産める若い世代の女性は減少する一方なので、一人の女性が5人くらい子供を産まないと少子化問題は止められるはずがありません。残念ながら、それはあり得ないでしょう。

そうなると人口ピラミッドがひっくり返った構造でも、社会が機能するようなデザインを考えないといけないことになります。

現役世代が高齢者を支えるという現状のシステムは続かないでしょう。

そうなると高齢者を諦めることになるでしょうか。

それとも驚くべき技術革新により、効率的な介護ビジネスが発展して、長生きさせられるようになるのでしょうか。

もしくは、死ぬまで働かないと生きていけないような時代

 

私が期待したいのは、驚くほど優秀な頭脳を持った若者の能力が十二分に発揮できるような社会にすること。

日本社会は出る杭をすぐに打ち付けてへし折ってしまいますが、内輪もめしている場合ではありません。

日本の存続がかかっています。

烏合の衆が1000人揃っても歯が立たない天才たちに、ドカンと富を生み出してもらう。

そして我々小市民はその恩恵を受けながらも、自分たちのやりたいことができる社会。

 

介護が必要になったら、年齢・バックグラウンド・職務経歴・資産・要介護度などをマッチングアプリに入力して、老人ホームを自動的に決められるような時代が来るのでしょうか。ケアマネージャーの仕事が要らなくなりますし、施設で働く人もAIロボットです。

今日は少子化について考えてみましたが、向こう10年くらいで我々の生活はガラリと変化する局面にいると思います。

そういうことを考えるのは未知との遭遇、ワクワクします。

人生100年時代。

還暦のお祝いに、「シミ取りチケット1万円分」を配布できる自治体があったら楽しいのになぁ。

そんな税収ありゃせんわっと怒られそうです

高齢者の肌を清潔にする美容医療という切り口で、まだまだ私の仕事もお役に立てそうです。

 

2022.09.07

女性リーダー

英国の首相に、リズ・トラス氏が選ばれました。

47歳の女性リーダーです。私より若い

海外では若い女性リーダーが珍しくないですよね。

 

先日、テレビで“尾崎えり子さん”というとても元気な女性が紹介されていました。

38歳。小学生の子供2人と夫と4人家族。会社経営。

家族で岡山の田舎に移住し、基本テレワーク。会社のオフィスは千葉にあります。

本業の傍ら、奈良県生駒市の副業公務員を兼務し、月に何日間か家族と離れ出張。

教育関係のコンサルティングのようなお仕事をしていました。

へ~。すごく今どきな働き方ですね。

家族の在り方も、働き方も柔軟で、生き生きと働く尾崎さんは魅力的でした。

尾崎さんは、2人の子育てと通勤の両立がネックとなり、勤めていた会社を辞めたそうです。

家の近くで仕事探しをしたけれど、ことごとく断られて、仕方なく起業したとか。

子育て中の母親が家の近くで働けるサテライトオフィスを作ったようです。

 

子育てと仕事を両立させるには、好きなことで起業したらいいんじゃないか?と私はずっと前から思っていました。

会社員の場合、どうしても時間的制約があり、自由が限られてストレスが溜まります。

自分で仕事のペースをコントロールできるっていうのは、生活の質を高めるためにも重要な要素だと思うのです。

でも、お勤めしていた人が急に起業するのはさすがにハードル高めですから、起業するっていう選択肢もあるのよ、というキャリア教育が必要なのでしょうね。

前述の尾崎さんのような女性が、どんどんメディアに出れば、働く女性にとって勇気づけられるし、1つのロールモデルになると思います。

 

人数合わせ的な管理職とか議員数で女性を増やすのではなく、社会や人の役に立ちたいという発想から女性のリーダーが増えれば、戦争のない平和な世の中になるのではないかと期待しています。

 

2022.08.03

国家理念

ペロシ米下院議長が台湾を訪問するニュースが気になる。

今後の米中関係はどうなるのだろうか。

世界がますます不協和音を奏でている。

 

人間の寿命が延びたため、人生100年なんて言葉をよく見聞きするようになった。

長生きするようになったから、なるべく長く働き続けましょうといった世論が鬱陶しい。

リカレント教育とか言って、中年以降もヒトは一生学び続けよう!と、自治体や学校はいろいろなプログラムを用意している。

何を学ぶかって言うと、仕事に生かせるスキルや知識らしい。

「一生働け」

「子育てしながら働け」

労働力不足を埋めるために、何とか多くの人に働いていて欲しいという為政者の狙いが丸見えだから、ますます鬱陶しい。

少子高齢化による労働力不足が深刻化する中、高齢者でも女性でも移民でも、労働力になるものはフル活用しないとどうにもならないというのは理解できる。

 

自分にとって必要な学びは能動的に学ぶし、必要なスキルは自分で身につけるようにするものだ。

人から言われてやるものではない。

ましてや、いい年した大人にまで「学べ」と言い、お膳立てまでする社会っていうのも何か違う気がする。

中高年になってくると、20代~30代の時のような気力・体力が失われるので、がむしゃらに頑張れなくなる。

国策として学べる人材を育成したいのであれば、若い時に血を吐くほど努力しろ!と言い続けた方が効果的なのではないかと思う(←今はパワハラとかモラハラとかで言えないのだろうが)

若い頃にぐーたらする習慣がついてしまうと、年を取ってから勉強するのは困難だろう。

何も皆が同じことをしろということではなく、個人個人が熱中できることでよい。

自分の得意なこと、夢中になれることに、とことんのり込めることを見つけ、子供たちが全力でそれに取り組めるよう社会全体が支えていくという仕組みは作れないものだろうか。

適正を見極めることが肝心だと思うが、これは子供自身でできることではないから、やはり親や先生の導きが欠かせない。

受験勉強一辺倒になり、親の経済格差で将来が決まってしまうのでは夢がない。

「何をやりたいか?」主体性を持って取り組めるような人間に成長できる教育が必要なのだ。

 

子育てのノウハウ本みたいなのがたくさん出ているが、家庭環境も子供の性格もそれぞれ違うのだから、正解なんてない。

子供が小さい時は、私もいろいろ悩んだこともあったし、自分の子育てが成功だと言えるかどうかは分からない。

「整理整頓」と「約束を守ること」に関しては口うるさく言ったつもりだが、大学生になっても不十分なままなので、これらに関しては失敗なのだろうか。そのうち気づいてくれるといいのだが。

やりたいことを見つけ、自走できるようになったことは成功だと思う。

親がとやかく言わなくても、自分でやりたいことを見つけてやっている。

「自主自立」は私の人生のモットーである。

 

小学校や中学受験で青色吐息の親御さんに接することがある。

大切なことは、どのように育って欲しいかという教育理念を、親がきちんと持っているか?である。

今の日本に足りないのは、この国をどんな国にしたいか?という国家理念だと思う。

経済成長という言葉は、もう国民に響かないのではないだろうか。

夢が描けなければ、進むべき方向が見つからない。

それで対処療法に追われているだけのような気がする。

 

自立した人間が増え、

多様性を認め、

寛容な社会になること。

これが私の考える国家理念である。

 

 

 

 

2022.07.12

激動の1週間

先週のブログには、社会の気になることをたらたらと書き綴ったのだが、とうとう元首相が銃撃されるという大惨事が起きてしまった。

とてもショックで悲しい出来事だった。

長きにわたり我が国の総理大臣として活躍して下さった人が、あのような些末なテロとも言えないような行為で命を奪われたことは、国家の防衛体制を疑わざるを得ない。

日本は自分たちの力で日本を守り切れるのだろうか。

今回の事件を教訓に、我々は自国の防衛について真剣に考え行動しなければ、国家の存続にかかわる事態に発展し兼ねないと思う。

最近やけに元寇を連想してしまうのは偶然ではないだろう。

九州に上陸しようと攻めて来るモンゴル勢を相手に、鎌倉時代の武士たちが応戦している絵が残っている。

平和ボケはこの辺で終わりにしよう。

そして参院選。

予想通り自民の圧勝であった。

投票率は52.16%と前回より上回ったものの、2人に1人が棄権しているという事実はちょっと悲しい。

日本人であることを誇りに思えるような国にしたい。

日本はダメだダメだと言わずに、長所を伸ばして行けば良いのだ。

勤勉で誠実、きれい好きで優しい日本人。

「日本をこんな国にしたい。そのために私なら○○のようなことをやってみたい」というような会話がごく普通に出てくる環境にしたい。

誰かが何とかしてくれるというような依存心は捨てて、一人ひとりが自分の得意なことで勝負するぞというような気概。

そんな不穏な時期でしたが、スタッフが私の誕生祝を企画してくれました。

皆との楽しいひと時が、どれだけ気分転換になったことでしょうか

心優しいスタッフに囲まれ、幸せ者の院長であります。

みんな、ありがとう。

2022.07.05

社会は気になることで満ち溢れている

先週は猛暑日の連続で、体力がかなり消耗したように感じている。

しかし人間のホメオスタシスはすごいもので、あのような酷暑の夜でも、エアコンなしで眠れるようになった自分自身の順応性には驚くばかりだ。

暑さから連想するのは電力不足というエネルギー問題。原発はどうするのか。再生エネルギーはどのように利用されるのか。

車は電気自動車になるんだろうな。

でも、本当に電気自動車ってエコなんだろうか?

電池に利用するリチウムなどのレアメタルは天然資源だけれど、限りあるもではないのかしら。

それらを採掘するためには、さらなる環境破壊を引き起こすらしい。

電気自動車と言えばテスラを思い出すが、あの会社が今後の不況を見越して人員削減するというニュースを見た。

自動車そのものの在り方を考える必要がありそうだ。

CO2削減しないと温暖化は止まらないのに、真剣さが足りない気がする。もっと節電意識を高めないと。

ウクライナの戦争で地球を滅茶苦茶に破壊しているけれど、何て馬鹿なことをしているのだろうかと呆れてしまう。

人間である限り、不条理で暴力的な感情は、どうにも統御できないことを、我々は、世界は黙認していいのだろうか。

あの破壊エネルギーを、もっと生産性の良いことに、人類の幸福のために使えないものだろうか。

戦争が拍車をかけて、物価高騰を加速させている。

物価の割には、賃金は上がらないと不満が募る。

一方、港区ではびっくりするような高級車に乗っている若者をちらほら見かける。

分譲マンションは庶民には手の出せない高価格帯だ。

45平米の1LDKで1億弱というのだから、よほど稼ぎの良い人が購入するのか。それとも投資物件か。

東京も外国の都市のように、普通の人たちが暮らせない街になってしまうのだろうか。嫌だなぁ。

都心のいい場所を外国人に占拠されるのは、いい気分がしない。

もっと日本を良くしたいな。

ああそうだ、今週末参議院選挙がある。政見放送見ないと。

いやいや、読みたい本もたくさんあるし。

聖徳太子と万葉集はずっと気になって、もっと深堀していきたい。

美容医療の勉強もしなくては。

 

気になることがたくさんあり過ぎて、まとまりのない文章になってしまった。

まだまだ知りたいことはたくさんあるので、日々少しずつでも学んでいきたい。

知的好奇心を満たすことこそ、私にとって至福の喜びであり、モチベーションアップに繋がるのである。

 

家事を外注する

私は子供を産んだ頃から、少しずつ家事を外注するように心がけました。

医師として仕事を続ける限り、子育てと仕事と家事まですべてやり切る能力が自分にはないと自覚したからだと思います。

夫は家庭的な人ではなく、自分の夢を追いかけている人でしたから、当然あてにならず

子供が産まれたばかりの頃、ベビーシッターさんを頼もうと、何度かトライしたことがありました。

しかし、当時の私には、まだ我が子を他人に預けられる力がなく、信頼できずに結局断念。

夫や私の両親に預けることがほとんどでした。

結局、下の子が小学4年生になるまでは、子育てには親の手を借りながら何とかやっていたように思います。

とは言え、私の母は家事が得意な人ではありませんでしたから、子供を見ることをはお願い出来ても、家事まで頼むことは出来ません。

私も家事は苦手でして、これは何とかしなければ生活がすさんでしまうという焦りから、家事全般をお願い出来る人を探し始めました。

週1~2回出来る人から少しずつ始め、最終的に毎日来てくれる人と出会ったのが40歳くらいの時。

今は、掃除・洗濯・料理・犬の世話まで何でも任せられるとてもいい人と巡り合い、もう8年くらい経つでしょうか。

もうこの人なしでは生きていけないと言っても過言ではありません。

 

家事を外注することに対して否定的な考えをお持ちの方もいらっしゃいます。

「料理は母親が作らなくては可哀想」とか。

そう思ってご自分でやる方はそれで良いでしょう。

しかし、私のように家事が苦手で苦痛な人は、是非「家事を外注する」ことにチャレンジして欲しいと思います。

もちろんそれ以上に稼ぐことが前提ですが

苦手な仕事を手放すと、気持ちにゆとりができます。

自分の仕事に専念することができ、パフォーマンスが上がります。

本を読んだり、勉強する時間を確保することができます。

私がこうして美容医療を続けることができたのは、両親を始め、お手伝いさんの手助けがあったお陰です。

人間、一人では生きていけません。

やりたいことに優先順位を付け、人の助けを借りながらバランス良く暮らすこと。

私は美容医療を通して、皆さんのお役に立ちたいと思います

 

日本にはあまり家事を外注する文化が根付いていないようですが、女性も男性と同じように働いていくためには、家事を外注することが当たり前になるか、男性も女性と同じくらい家事をやるようにならないと難しいのではないでしょうか。男女平等を謳っている割には、まだまだ家事時間の男女差は大きいようです。

女性が自立して仕事を続けていくには、いろいろな人の力を借りて、それに感謝する気持ちを忘れないようにしたいものです。

 

2022.01.25

スキンケアと自足

本日は本題の「自足」について書こうと思います。

年始にフィーバーした養老熱で思ったこと。

 

養老先生は、坂口恭平さん(作家・建築家)について度々触れていますが、坂口さんは躁鬱のようで、そのような自分と折り合いをつけるために苦労してきたことを結論づけると、

1)居心地の悪いところから立ち去る。

2)資質に合わないことはやらない。

ということらしいのです。

居心地の良い状態というのは、頭で理解するものではなく、身体の調子が“良い”ということに他なりません。

カラダが心地よいと感じることをしていれば元気でいられるのに、

快適ゾーンから外れているのに、いろいろ考えすぎちゃって無理してしまうと、その誤差の蓄積が“ストレス”となってしまうのでしょうね。

よくありがちな例を挙げると、

・性格や価値観の不一致を押し殺し、家柄や収入など条件を優先してしまった結婚

・生理的に合わない家族でも“家族”という理由で無理に合わせて付き合うこと

・好きでもない仕事を、収入のために続けていること

・家族のためという理由で通勤地獄に耐えること

・ママ友さんとの無理なお付き合い

・化粧は身だしなみという強迫観念から、毎日ファンデーションを塗っていること!(本当は塗りたくないのに)

 

合わないことはやめて、みんなが「自足」してくれれば社会はもっと落ち着くんじゃないかと。

何で必死に余計なことをしているんだろうと、坂口さんは言うそうです。

 

人間形成途中の子供が、好き嫌いだけを行動規範にしていいかどうかは疑問ですが、

いい歳した大人は、自分の価値基準をもとに行動し、「自足」することに大賛成です。

養老先生は、

「自分にとって適切なヒトとしての生物学的状態を現代人の多くが把握できなくなっている」と仰っています。

快適か不快かの判断ができないと!

というか、身体感覚に基づいて行動できないってことなんでしょうね。

頭(理屈)で考えてしまうから。

なるほど~

スキンケアについても「自足」していない人が多くて、何かおかしいな??と感じていたのですが、そういうことなんだと思いました。

自分の肌にとっての「快適」が、良く分からなくなっている人たちがいて、「正しいスキンケアを教えて欲しい」と当院を受診されます。

スキンケア情報が多すぎて、情報洪水の中で溺れている人が多いこと

万人受けする正しいスキンケアなんてものはないのだから、

自分にとって快適か不快かで判断すればいいだけのことなんです、本当は。

だから私は、「その人にとって正しいスキンケア」をお伝えするようにしていますが、目指すところはその人が自分で判断できるようになること。

「これでいいんだ~」と自分で判断できるようになって欲しいのです。自足して欲しい。

 

こういう身体感覚を身に付けるには、やはり子供の頃からカラダを動かし、いろんな経験をすることに尽きると思います。

都会暮らしで、ゲームや塾ばかりの生活をしていては、身につかないんじゃないかなと思います。

子供同士の方がいろんな人たちとフラットに付き合えるから、自分と異なる環境の人たちと接し、多様性を肌で感じることは、身体感覚を磨く上でも大切なのではないかと思います。

 

自分の快適を求めるなら、他人の快適も認めてあげる寛容さも必要です。

他人の「自足」を一緒に喜んであげられるようなゆとりが持てたら、幸せな社会になれそうです。

 

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