医療法人社団晴栄会
白金ビューティフルエイジングクリニック

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Blog院長ブログ

人は易きに流れる

「人は易きに流れるから、若い時の苦労は買ってでもしなさい。」と言われた昭和世代。

四当五落とか言っていましたね

いえいえ、昭和世代はシニアになった現在も猛烈に努力しています。

還暦を過ぎても、英語を猛特訓して海外へビジネス展開する人。

MBA留学を踏み台にして、ステージを上げる人。

大学院に入学し、やりたかった学びを深める人。

ゴルフでプロ顔負けの練習をして、自己ベストを更新し続ける人。

毎日1万歩を実行する人。

フルマラソンに出場する人。

 

そんな皆さまに共通して言えることは、とにかくこつこつ継続していることです。

それが当たり前に出来る人たち、やっぱりすごい。

そういう人たちだから、美容と健康に気を遣うのも当たり前。

当然肌もきれいになるわけ。

ウルトラリスペクト

 

無症状更年期を迎えている私は、どうも若い頃のような踏ん張りがきかなくなって、ブレーキ故障中。

易きに流れて、溺れそうです。助けて~。

ジャズダンスでは、あまりに脚が上がらない短足オバサン。必殺「開脚チェア」なるものを密かに購入し、毎晩開脚体操しているものの、効果は目に見えず。

友人にその話をしたら、「私は前後開脚できるようになるまで7年かかったわよ。」と言われてしまい、自分の甘さが恥ずかしく情けなく

こつこつ、ゆっくり。人生フルーツ。

 

美肌は1日にしてならず。

しかし、長期的に見ていただければ、美容医療の効果は絶大です。

美容皮膚科医として駆け出しの頃、知的なキャリアウーマンのお手入れをさせていただいた時に感じたことを今でも思い出します。

「私はこのような人たちがそれぞれのお仕事で存分に力を発揮できるよう、美容面で貢献したい。」と思いました。

美容の悩みで煩うことのないように。

素肌に自信が持てれば気分が良くなり、若々しさを保ちつつ、本業の「何か」に打ち込むことができるのではないでしょうか。

いや、素肌を整えておくことは、もはや仕事前の身支度のような行為とすら感じています。

 

易きに流されない女性たちに、夢と希望を感じながら通っていただけることを誇りに思います。

努力と継続の大切さをしみじみ感じた春でした。

 

時給328円

半日かけて父の遺品整理をしました。

私が子供の頃の入学式や卒業式、運動会、ピアノ発表会のプログラム、テニス大会のパンフレット、図工で描いた絵、父宛に書いた手紙など発見。

親思う心にまさる親心、、、

 

ついでに、まだ解約していなかった〇〇銀行へ、相続手続きに立ち寄りました。

すでにいくつかの銀行で手続きを済ませたのですが、まだ少額残っている口座がチラホラ。

銀行によって相続手続きが異なり、大手都市銀行は郵送でやりとり終了。

某信用金庫は窓口へ足を運ぶ必要がありました。

今日の銀行は、予約なしで立ち寄ったものの、当日対応OK

しかし通帳もキャッシュカードも紛失しており、残金いくらかも分からず

ただ、〇〇銀行に口座があったことは覚えていました。

店頭のテレビ電話窓口で画面越しに手続きをしたのですが、カメラとかプリンターなど指示通りに使いこなしながら、2時間近く滞在し、閉店時間を大幅に過ぎてしまいました。

それでも1日で手続きを完了することができたので、まあ仕方ないか、と開き直っていたものの・・・

最後に現金で支払われた残金が、な・な・なんと、656円

たった656円のために2時間も費やしたとは

私の時給は328円かい

 

いえいえ、人生お金、コスパだけではございません。

やるべきことをきちんと終わらせる爽快感もございます。

 

私が学生時代の頃から、「子供の教育にはお金を惜しまないが、財産は残さない」と宣言していた父。

本当に使い切って旅立ちました。

そして、教育によって生きる術を身につけさせていただいたことに感謝。

 

夕暮れ時、満開を過ぎた桜並木。愛犬と共に、花びら絨毯を楽しみながら、生きる喜びを噛みしめています。

 

 

 

2025.02.20

母の病気

母が再び脳出血で入院した。

自宅で転倒して動けなくなり、救急車で搬送されたところ、1週間前に起こしていたと思われる脳出血が確認された。

かかりつけの病院へ受け入れてもらえることができたのが不幸中の幸いだ。

右脳出血により、左半身に軽い麻痺があり、上手く歩けなくなっていたようだ。

最近腰が曲がってしまい、足腰の痛みを訴えるようになっていたので、「上手く歩けず転んじゃうのよね。靴下が滑るみたい。」という切実な訴えも、腰が原因だと思い込んでいた。

休日に様子を見に行くと、ベッドの上で、変な姿勢で横になっていた。

手を取って介助して、何とかよちよちトイレに行けたものの、一人ではどうにもならないレベルだった。

それでも寝室からリビングまで連れ出し、ご飯を食べさせたら、案外普通に話していたので、脳出血とは考えられなかった。

私が帰ろうとした時、玄関でひっくり返った。頭をぶつけた。腰もぶつけた。

抱きかかえて起こそうとしたが、痛がって少しも動かせない。

終わった。と思った。

すぐに119番通報。

 

幸い骨折はしなかったものの、脳出血が見つかった。

転倒とは関係のない、1週間くらい前の脳出血だ。

脳の異変に気付けなかった娘に、「何しているの?早く何とかしてあげなさいよ。」という神の思し召しが、母を転倒させたのだと思った。

気付いてあげられなかった自分が歯がゆい。

 

緊急入院すると、人間は自分の病状や環境の変化から想像を絶するストレスを感じ、不安になる。

最初の夜は、不穏になって点滴を抜去するなど暴れたらしい。

食事も喉を通らなかったようだ。

「皆が私の家を狙っている」とか、「アフリカ人が家に泊まりに来たのよ。セネガル人かしら。」などせん妄症状を認めたので、まずはできるだけ不安を取り除いてあげようと、毎日病院に通った。

母の入院している病院は面会がゆるく、夜8時までOKというのが有難い。

しかも食事持ち込みOKの神対応。

母の大好きな“ひなあられ”や“りんご”を食べさせて、コーヒーを飲みながら、入院生活についての話に耳を傾けた。

変なことを言っても否定せず、ただ受け入れた。

そうしているうちに、だんだん表情が穏やかになり、いつもの母に戻っていった。

「この病院の人たちは良くやってくれるわ。」と、感謝の言葉に変わっていった。

 

足の麻痺があるので、歩けない。

しらばくリハビリが必要になるけれど、一人で歩いてトイレに行けるくらいまで回復して欲しい。

 

それにしても、なぜ私の両親は揃って脳卒中となり、後遺症に苦しめられることになるのだろうか。

脳が不自由になることは、健常者の我々には到底理解できないような苦しみがあるようだ。

不安、焦り、苛立ち。

6年間親の介護に直面してきたので、どのように対応すべきかということは頭では理解できる。

大切なことは、病気の人を不安にさせないこと。安心させること。

しかし、実の親の脳が壊れていく様子を目の当たりにすると、理想通りに優しくはなれない。

感情が許さないのだ。

保護者である私が、時に厳しくなったり、声を荒げてしまうこともある。

そのたびに落ち込む。

自分の頭の中に、こんがらがった針金の塊が植え込まれているような感覚だ。

こんな状態でも、日々の仕事はきちんとやらなければならない。

そして家族が安心して暮らせるようサポートしなければならない。

いや、それが出来ている自分の脳が正常なことに感謝である。

我々の能力は人それぞれだ。超ハイスペックな脳もあれば、ロースペックな脳もある。

脳血管疾患だけでなく、うつ状態など精神を病んでしまうと脳が働かなくなってしまうらしい。

DVなどのトラウマでもそうなるらしい。

依存症や借金まみれになる人たちは、脳の働きに問題が発生しているので、自助努力ではどうにもならないようだ。

だらしないとかやる気がないという自己責任論では片付けられない問題。

だから、頭脳に対して良し悪しをつけることが間違っており、能力の高い人は困っている人を助けるために使ってこそ意味があるのではないかと思う。

 

プライベートネタを炸裂させてしまったけれど、親の病気を通して、残酷な人間社会についてものすごく考えさせられたからどうしても記しておきたかった。

まだまだ私の修行は続きそうだ。

 

参考文献

『貧困と脳』(著)鈴木大介 幻冬舎新書

 

 

 

 

逗子研修

久しぶりの院外研修、逗子へ行きました

美容クリニックなのに海かい!!と突っ込まれそうですが、自然と触れ合うのが今回の目的です。

日々の診療ばかりに追われてしまうと、大切なことを見失いがちです

あえて時間を作り、スタッフ全員と共に過ごす時間を作ることは、信頼関係を築くためにも必要な行事だと思います。

曇天で良かった~

海に入りながら、自然と対話していると、自然から声が聞こえてきます。

都会にいると、自分の脳だけであれこれ考え過ぎてしまうのが問題らしく、自然に心を開いていると、自然が答えてくれるのです。

波は大きくなったり小さくなったりしながら、ただただ繰り返し押し寄せます。

砂は波に巻き込まれながら浜辺を彷徨います。

風は自由に移動し、人々に心地よさを与えたり、時には災害をもたらすこともあるでしょう。

対岸に見える木々は、ただそこに立ち、風に揺られて、光合成。

雲は太陽の強い日差しから私たちを守ってくれたり、雨を降らせて恵をもたらします。

自然界の存在は、ただそこにいて、その役割をずっとずっと繰り返しています。

風のようにダイナミックに動く役割もあれば、木々のように同じ場所に居続ける不動な植物もいます。砂粒のようにその他大勢と共調して存在するものもいます。

色々な役割は、大地という大きな環境の中で定められているものであり、そこに意志などなく、ただただ役割を果たすのみなのではないだろうか?

人間も自然の一員なら同じことではないでしょうか。

大地や宇宙という大きな歯車の中で生かされているだけで、それぞれの場所で割り当てられた役割をきちんと果たせばそれで良いのはないでしょうか。

人間の意志で自然を壊すようなことをするから、色々な問題が吹き荒れてしまうのだろう。

自我溢れるこの世界。

戦前の「お国の為なら~」思想に反発するように、戦後エスカレートした個人主義がやや行き過ぎて、私利私欲万歳もどうかと思いますね。

無我になりたい。

そのような思いに耽ることができました。

自然さん、たくさんの気付きをありがとう。

 

 

 

 

心の良い人

今年は、学ぶ時間を確保し、2つの勉強会に参加しています。

1つは経営セミナー。

もう1つは心の學門。

後者で学んだことを少しご紹介しましょう。

 

「経済活動は精神を磨くためにやるものだ。最高の人格者になるためだ。経営者になって従業員とお客を救え。」

そうか、そうだったのか!

クリニックを経営している限りは、どうしても付きまとう金勘定。

お金は大事だけれど、お金の為に働くのは何か違う感じがする。

一体何のために働いているのだろう、、、

ここ数年、心にかかったモヤが急に晴れ渡ったような感覚になりました。

そしてもう一つ。

「肉体を鍛えたり、頭をよくすることより、豊かな人間性を養い、“心の良い人”を数多く育成することの方がはるかに大切なこと」

こちらもしびれました

肉体労働はロボットや機械が、頭脳はAIが代行してくれる時代となるからです。

お肌の透明感も大切ですが、心の透明感にこそ美の本質が宿ると考えます。

自分のやってきたことが肯定されたようで、胸の中がさわやかミントで満たされた気分です。

 

自分の専門である美容医療を通して、素肌を健康に保つことでいい気持ちになれる人・優しい人を増やせたらいいなぁ。

 

 

 

父、永眠。

9月9日、父が永眠しました。

昨日通夜、本日葬儀を無事終えることができました。

つきましては予約変更をお願いすることとなった患者様には大変ご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません。

 

約2年前に脳梗塞を発症し、失語症となり、いろいろ不自由な体になりながらも、2年間頑張りました。

いえ、頑張ったかどうかは不明です。

「何もやることがない(できない)。もう死ぬしかない。」と度々口にするほどの絶望感だったかもしれません。

脳に広範囲のダメージを負ったことが原因で、健常人が当たり前に行うことが出来なくなるのですから、相当なストレスではなかったのではないかと想像します。

 

2022年12月退院後、一人暮らしが困難になり、2023年1月には説得してサービス付き高齢者住宅に入居してもらいました。

そこでの生活に慣れるまでにも3か月くらいかかりましたが、2023年4月ごろからだんだん精神が落ち着いてきたようで、友人に会ったり、演歌のコンサートに行ったり、野球観戦したり、それなりに暮らしを楽しもうとしていた様子でした。病気直後は、私や兄に連日「助けてくれー!」と悲痛の叫び電話がかかってきていたのですが、その頻度が減りホッとしたものです。

2023年5月には、親戚のいる名古屋まで足を延ばし、父の両親の法要にも参加することができました。

2023年8月、コロナに感染し入院。重症には至らず、1週間ほどで退院できましたが、これが引き金で肺が悪化したような気がします。

2023年11月から誤嚥性肺炎を繰り返すようになりました。

2024年3月下旬、とうとうファイナルステージ。介護付き老人ホームへ移りました。

2024年8月、再び誤嚥性肺炎で入院。CT検査ではすでに肺がボロボロになっており、これ以上延命処置をしても苦しむだけだと終末期宣告。

「退院=死」が差し迫った状況の中で、父を退院させる決断をした時は、死刑宣告をする裁判官と同じような気分なのかしらと想像したものです。親といえども他人の命を決めることの責任が重く重くのしかかります。

9月6日退院後、老人ホームに戻りました。案の定、2日後に意識を失いました。

駆け付けた時は意識不明でしたが、数時間後奇跡的に意識が戻り、声を出すことは叶わなかったものの、話しかけると目を開けて反応してくれました。

私の家族、兄夫婦、病気の母も駆け付け、一緒に過ごした最期の時間は実に尊いものでした。

最後の2日間、最後の力を振り絞って、私たちの声掛けに反応してくれたし、時々ニコリと笑顔も見せてくれました。

血中酸素濃度が低下したため、苦悶の表情でした。何度も何度も酸素マスクを自分で外そうと抵抗していた様子を見ると、やはり苦しそうで可哀そう。人の命はそう簡単に消えないものです。

38時間30分も苦しそうな呼吸を続け、やっと安らかに息を引き取りました。その瞬間、心のどこかで正直安堵したものです。

 

親が病気になると、子供はいろいろな決断をしなくてはなりません。

仕事で鍛えられていますので、決断することには慣れていますし、父のことだけでなく家族みんなのことを考えて判断し行動してきたつもりです。しかし、父にとって最善だったかどうかは今でも分かりません。

父はずっと自由で、遊び人で、人にあれこれ指図されるのが大嫌いだった人ですから、老人ホームなどもはや洞窟の暗闇にいるような状況だったのかもしれません。いつも友達に囲まれ、ワイワイするのが大好きだった人なので、寂しかったのだと思います。

「何にもやることないから、遊びに連れ出してよ。」と何度も何度も催促されましたが、私にも私の人生がありますので、毎日父の相手は出来ません。自分自身の精神状態を保ちながら、出来る限り面会に行ったり、食事に連れ出したと思うのですが、父にとっては不足だったのでしょう。

何となく死期を察した8月下旬から、ほとんど毎日仕事帰りに父の病室を訪れました。

コロナが明けて、病院の面会時間が19時までになったことも有難く、穏やかに話すことができ、幸せを感じました。

やるべきことはやり切りました。悔いなしです。

 

何の因果か、美容医療の認知度が極めて乏しかった頃から美容外科の道を志し、アンチエイジング専門の美容医療に携わること24年。私が美容医療で少しでも患者さんのお役に立てている(?)のも、両親が私を産み育ててくれたからです。ご先祖様への感謝の念が堪えません。

父をしっかり供養することこそ、子としての務めであり、自分自身の成長になると改めて考えさせられた数日間でした。

 

通夜と葬儀に参加して下さった親戚とご友人の皆様、

父のお世話をして下さった老人ホームの皆様、

入院中優しく看病して下さった病院の先生と看護師さん、

最期のセレモニーを滞りなく運営して下さった葬祭センターの皆様、

良き関係者に恵まれました。心よりお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天命を知る

激烈な酷暑の到来

脇汗が気になる季節です。皆様、エチケットボトックスはお済でしょうか?

子供の頃はここまで暑くなかったものの、何故かこの時期になると「短縮授業」というのを思い出します。

確か10分程度授業が短くなって、下校時間も早まるのですよね。

夏休みが近づき、ワクワクした時期でした。

放課後は何をしていたのでしょうか。外で遊んでいたのか室内だったか、、、

 

10年以上前に旅行したベトナムでは、成人男性が何故か道端に座り込み、ダラダラ過ごす風景が異様に感じたことを思い出します。女性はせっせと働いているのに。

この地球温暖化は、人間に活動させないようにしている神の思し召しなのかもしれません。

ベトナム男性には、それが分かっていたのかも

エネルギーの無駄遣いをしているのは、先進国の富裕層ですからね。

「木を伐採し、砂漠化させる愚か者よ。お前たちも自然に生かされていることを忘れてはならないのだ。」

東京の再開発には憤りを感じており、是が非でも神宮前の再開発を阻止したいという願いを込めて、東京都知事選に臨みましたが、小池氏の圧勝。

あ~あ~あ~

 

7月、また一つ歳を重ねました。

 

50代、天命を知る。

その意味の理解が深まってきています。

人間は世代や立場ごとに、やるべきことと役割があります。

その責任をきちんと果たすことを意識しています。

仕事では相変わらず、院長としての「戦略的意思決定」が私の責任です。

次世代を担う若者が活躍できるようサポートするのも、私のやるべきことなのかなと思えます。

そして、身近な人と良好な関係を保つための努力でしょうか。

昨年のブログを読み返すと、「お礼」について書いていましたが、十分に出来たかというと、、、

今年も礼を尽くすよう努力します。

 

 

教育格差と感動体験

「日本では子供の8人に1人が相対的貧困に直面している。

家庭の経済的な事情による教育環境の格差が大きく影響する。」

貧困により、教育格差が生じ、将来の選択肢が狭まり、視野も行動力も狭まるということです。

そこでソニーグループ元社長の平井一夫氏は、感受性が豊かな子供時代に、心から感動するような体験を提供する「プロジェクト希望」を設立。運営資金は100%個人資金。公的資金では使途に制約もあり、思い切った試みが出来ないからだとか。

以上日経新聞より。う~む、素晴らしい。

 

子供時代の感動体験は、人間形成に大きくプラスに影響すると、私も強く共感。

「経験値を高める」は、我が家の教育指針の一つでもありました。

「プライスレスな経験を」「モノより思い出」も我が家の家訓であります。

 

さらに思うことは、家族や友人、恋人などを通した良い人間関係というのも、人生の質を高める上では欠かせない感動体験だということ。

若い頃の友人や恋人は、一時の関係で終わってしまうこともあります。

しかし、その人たちが大好きで、青春時代を共に過ごした思い出というのは、まさに感動体験そのものです。

「特に恋愛というゲームの場では、ひとは自己と他者についてとことん学ぶ」by 上野千鶴子

若者よ、もっと恋愛せよ、と言いたい。

エネルギー溢れるあまり、恋は盲目であり、お互い傷つけ合いながらも、成長していきます。

 

恋人と別れたら、元カレに関わる品々を全処分してしまう友人もいますが、物品を処分したところで思い出まで消去できるものなのでしょうか。

精神がひりつくような痛みを覚える経験をしたことも、今となっては自分自身の血となり肉となり、嫌な思い出すら懐かしめるようになっているのは、傷の程度が浅いのか、私の神経が図太いのか。

あまり過酷な経験をしてこなかったと言えば嘘になるような気もするのですが、他者に対するリスペクトがねじ曲げられるほどの劣悪な経験というものをしてこなかったことは、たまたまラッキーだったのかよく分かりません。

セクハラをされた記憶がないくらいなので、本当に鈍感なのか、メンタルが強靭なのか。

 

大切な思い出は骨の髄に染み込んでいます。

切り離して消去、なんて出来ません。

保存された多種多様な体験の保存フォルダが、その後の人生を豊かにしてくれたような気がします。

私というコンピューターは、だいぶメモリーが埋まってきているので、やはり一部消去は必要なのでしょうか?

いえいえ、アップグレードして、メモリーを拡張します

 

 

 

 

 

 

 

整理整頓

「50代になって1年が経ち、以前よりなにもかもが捗らなくなったと感じ、怖くなる」

日経新聞のエッセイを読んでいたら、このような1文が私の心に刺さった。

そうそう!これ、まさに私の心境

自分の思いが明確に言語化された文字に触れると、何だか嬉しい。

最後の「怖くなる」はちょっと違うかな。

 

最近、提出物や振り込みなどをうっかり忘れることがあり、マメにメモを取るようにしている。

朝、やるべきことを携帯にメモして出勤。

クリニックに電子カルテのようなものがあるので、自分のカルテにやるべきことをリストアップ。終えたら『済』マークを付ける。

提出すべき書類などは、後回しにせずどんどん片づける。

重要書類はファイリングして保存。

紙の書類も、PC書類も、さっさと整理整頓。

後で探す労力を考えたら、最初から整理した方が間違いない。

年々家のモノが増えるように、書類もどんどん増えまくる。

定期的に破棄しないと。

 

今年は家の中をもっと整理整頓して快適に過ごしたい。

それから、自分の財産をリストアップして、万が一の時に備えたいと思う。

終活ではないけれど、残された人が困らないように、身辺整理をしておきたいと思うようになった。

 

事務仕事にはいささか非効率さを感じていたが、日々の診療に関して捗らなくなったと感じることは一切ない。

毎日同じことを繰り返していると、無意識レベルで出来るような気がする。

自分の持てる経験と知識と技術を総動員して、患者さんの素肌に磨きをかけるお手伝いが出来たらこの上なく嬉しい。

人間の能力にはcapacityがあるので、脳内にも少し余白を持たせるよう整理整頓しておきたい。

インプットしなくてもいいような情報は右から左に流すとしましょうか。

 

 

 

総おひとり様社会

2020年の国勢調査では、単独世帯が一般世帯の38%を占めたとのこと。

東京都に限ると50%を超えている。

夫婦と子供2人という旧モデル世帯は1割を切る。

3世代同居は4.1%。

※日本経済新聞より

 

1人は気ままでいい。

私は50年間、いつも誰かと一緒に暮らしていたし、ずっと仕事をしていたから、1人でいられる時間などほとんどなかった。

子育てが終わり、1人で過ごす時間が断然増えた。

時々家族と過ごす時間は大切だし愛おしいと思うが、ひとり時間の快適さは捨てがたい。

長年1人暮らしを続けている人たちが、「他人と一緒に暮らすなんて無理」と口を揃えるのも理解できる。

適度な繋がりを感じながらも自由でいたいと思ってしまう。

まぁ、要するに、私はわがままな人間だと思う。

社会(社会って誰?)が個人主義を目指し、民意がそれを許容した。

個人の権利主張が強くなった。

これは欧米社会を模倣したからに他ならないが、表面的な制度だけを輸入し、魂が伴っていないからおかしなことになっている。

もともと日本人は控えめで謙虚で、空気を読み、周囲に合わせることが得意だし、善しとする文化だ。

個人の権利より、公の利益を優先してきた国だ。

この同調圧力は、コロナ禍で露になった出来事である。ある意味恐ろしかった。

私も若いころはアメリカ留学なんてしたものだから、そういう日本の堅苦しい習慣を毛嫌いしたものだ。

しかし、長く生きて、いろいろ経験し学んでいくうちに、日本の歴史、文化、精神性というものの成り立ちを知ると、張りぼてのような制度設計には無理があると思う。

日本人らしさという大和魂を無視しては上手くいかない。

 

80代の知人が現役で働いていた1980年代頃、彼女の会社では連休取得は4日間が限界だったという。

1週間も取れる雰囲気ではなかったし、皆もそんなものだと思っていたという。

4日間の短い海外旅行にたくさんのOLさん達が参加していたそうだ。2泊4日の旅??

私が研修医として働いていた90年代も、夏休みは1週間もなかったし、有休休暇という概念すらなかった。これは医師という属性だったからかもしれない。

真面目にコツコツ働くことが美徳であり、自分の出来ることが増えると純粋に嬉しかった。

休みもなく働くことがカッコ良かったから、睡眠時間を削って仕事した。

それでも夢と未来があったから苦にならなかった。

20年以上経った今、働き方は大きく変わった。

有休や育休取得を推奨し、残業を減らすことが良いとされる空気を感じる。

労働時間は1996年に1915時間、2021年は1651時間へ減少。

ところが日本国民1人あたりの労働生産性は1996年からほぼ横ばいとのこと。

米国は2.5倍、英国は2倍に増加しているのと比べると、停滞感を実感する。

労働時間は減ったけれど、仕事の成果も減ってしまったということ。

働き方改革は何か間違っているのだと思う。

真面目にコツコツ、人のためになる仕事をしている人が報われる社会であって欲しい。

 

 

さて、権利主張の激しい個人主義社会を模倣した日本。

核家族化が進み、とうとうひとり暮らしがスタンダードになった社会。

ひとり暮らしの高齢者をどうやって支えていくかが大きな課題である。

自由には責任と義務が伴うという原理原則を忘れてはならない。

人はひとりで生きていくことなどできず、家庭や学校、会社という社会の枠組みの中でたくさんの人たちの助けを借りている。

謙虚で驕らず、感謝の気持ちを忘れない。

そして「忠恕」の心で、志欲を持って生きていたい。

 

 

 

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