SUPPIN MAGAZINE(すっぴんマガジン)素肌をすこやかに、化粧品をやめるためのWEBマガジン!

吾がやり過ぎ仏を尊び鎮めること

吾がやり過ぎ仏を尊び鎮めること

診察室徒然日記

日々診療をしたり、お問い合わせ伺っていると頻繁に、それはやり過ぎなのでは⁈という状態を見たり、伺ったりします。

万事そうかもしれませんが、スキンケアにおいてもとにかく “やり過ぎ”は禁物です。

洗い過ぎ(触り過ぎ)、洗わな過ぎ(触らな過ぎ)、保湿剤塗り過ぎ、ピーリングし過ぎ、レーザーやり過ぎ、気にし過ぎ…などなど。

しかし、わたしも当院に入社する前は『ワセリン塗り過ぎ』『日焼け止め使い過ぎ』『素肌を他人に見られることへの自意識過剰すぎ』だったこともあり、やり過ぎてしまう気持ちもとてもよく分かります。

では、この“やり過ぎ”という感覚はどのように自覚し、そして自分にとっての“ちょうどいい”は、どのように見つけることができるのでしょうか。

まず大切なことは、『誰かの価値観に左右されていないか』ということです。

誰かがいいと言っていたからと言って、自分に100%合っているとは限りません。体質や好みによって合う、合わないことが必ず存在します。残念ながら何かのための“たった1つの方法”なんてないのです。(※宇津木先生申し訳ありません。楽天ブックス: 「肌」の悩みがすべて消えるたった1つの方法 – 美肌には化粧水もクリームも必要ありません – 宇津木龍一 – 9784413038270 : 本 (rakuten.co.jp) もちろんこちらは素晴らしい本に変わりありません。未読の方はぜひ!)

また、「隣の芝は青く見える」「隣の花は赤い」など、ないものに憧れる欲深い人の気持ちは古来より変わりませんが、もし他人の価値観に惑わされそうになったときにはこう唱えましょう。そう、「みんなちがってみんないい」と。

次に忘れないでおきたいことは『野生の感覚』です。
野生はさすがに言い過ぎかもしれませんが、暑ければ上着を脱ぐ、冷えた身体をお風呂に浸かり温める、疲れていたら休息をとる。と同じように、身体や肌の感覚に耳を澄ませ、まずは自分の感覚を信じて従ってみてください。
答えはInstagramやYou-Tubeにはありません。すでに自分の中にあることもとても多いのです。

  • 毎日肌がひりひりと染みるのに化粧水を使い続ける。
  • カサカサと乾燥しているのに石鹸やクレンジングで洗う。
  • 使えば必ず赤みがでるのにファンデーションを塗り続ける。

こんなことはありませんか?
何をやってもダメだと絶望しそうになったらまずは一息ついて、自分の身体や肌を観察してみることから始めましょう。

最後に『自分一人だけで解決しようとしない』ということも大切です。
脳性マヒの障害を持ちながら医師としても活躍されている熊谷晋一郎さんは、『本当の意味での自立とは、依存先を増やすことである』とおっしゃっていますが本当にその通りだと感じます。
肌断食はひとりで我慢し、辛抱強く頑張るものではありません。
また、肌断食は人生がすべてうまくいく魔法のようなメソッドでもありません。
あくまでも自分がより快適に、気持ちよく生活するうえでの手段のひとつです。

もちろん皮膚科での薬が必要な場合もありますし、スキンケアの見直しのほか、生活習慣の見直しが必要な場合も、また時には辛い気持ちと向き合うカウンセリングが必要になることもあるかもしれません。

誰かが言っていた方法にがんじがらめにならず、自分の身体感覚を信じ、適切に専門家や周りの人に頼ってください。悩みは誰かと共有することで、適度な距離感でその悩みに向き合えることもあるのではないでしょうか。
ひとつの方法に頼り過ぎず、様々な意見を柔軟に取り入れ、どんどん依存先を増やしましょう。その中から自ら選び、進むことが自立なのかもしれません。

「隣の芝は青く見える」の対義語として、自分が信じるものは他の何よりも良いとする、他を顧みない偏狭な心のさまを「吾が仏尊し(あがほとけとうとし)」と表現します。
これは、こころにゆとりがない人の例えとして、主に悪い言葉として使用されますが、SNSなどで日々様々な情報があふれすぎている現代では、逆に自分の中の普遍的な価値観が失われていることで、こころにゆとりがなくなっているのではないかという気もします。

初めから正しい方法を見つけられる人はそういません。トライ&エラーを繰り返し自分なりのちょうど良い方法を見つけていきましょう。自分の身体は思っているほど弱くありません。間違ったケアをしても時間をかけてちゃんともとに戻ろうと頑張っています。手っ取り早くまとめサイト読むよりもまず、ゆっくりと身体の様子に耳を傾けてみませんか。

そんなことを書いている私も決してバランスが良い人間ではありません。
たまに私の中のやり過ぎ仏が顔をのぞかせ、時に暴れ、ゆとりがないこころを感じ、自分に失望することも少なくありません。

今肌断食で悩んでいる皆様と一緒に、吾がやり過ぎ仏を尊び、飼いならし、鎮めることができるよう、ちょうどよく精進していけましたら何よりうれしいです。

肌ルネ管理人