院長ブログ

利休の美学

先週は日本&国際美容外科学会が京都で開催されました。

世界中から美容外科医が集結した、特別な学会です。

私が美容外科の世界に入門した2000年春、思い返せば国際美容外科学会が東京の八芳園で開催されていました。

ライトアップされた桜が輝きを放ち、憧れの美容外科の世界に身を置くことができた高揚感は今でも忘れません。

その時初めてBOTOX治療の発表を聴き、注射するだけでシワが伸びてしまう治療があることに仰天したことを思い出しました。

 

時は流れ16年。

最近学会に参加して考えることは、「美とは何か」

今回は学会の合間に、大徳寺を訪れました。

そこで出会った『茶室』

3畳の小さな空間に惹きこまれました。

無駄がなくすっきりして、この上なく美しく。

侘び寂びの美。

私が行う美容医療で目指している美は、まさにこの茶室に答えがありました。

古いものの中に奥深い味わいがあるのに、何となく清々しさも兼ねています。

華美な装飾は無用。

シンプルで美しい。

この茶室のように歳を重ねることはできないでしょうか?

私は、狭い茶室の中で暮らしてみたいとすら思いました。

丁寧に掃除をして、極力無駄を省く暮らし。

お化粧せずとも、着飾らなくても、年齢にかかわらず美しくいること。

 

そんな話を患者さんとしていたら、

「歳を取って“美”を求めるのは無理でしょう。少しだけ若々しく元気でいられたらいいのよ。」と仰っていました。

「美はトータルだから、肌と髪をお手入れして、体を鍛えてスタイルを維持し、洋服や装飾品もそれなりのものに揃えて・・・そんなことやっていられないでしょう?」と。

「キレイにすることばかりに専念する生き方は私の哲学に合わない」と。

仰せの通りです。100%agreeです。

患者さんとこのようなディスカッションが出来ることに喜びを感じました。

 

それにしても、加齢と美は結び付かないのでしょうか?

しかし私はここを結び付けたい。

いくつになっても美しさというものを見つけていたい。

 

私はいつでも影響を受けやすい性質があり、利休のお茶の世界が気になって気になって、いろいろ調べてみました。

利休とは利を休めるということ。

私もこの辺で利を休めて、侘び寂び美容を哲学しようと思います。