「脱シャンプーを試みているのですが、なかなか上手くいきません。」
この質問は度々聞かれます。
今日も30代女性から相談されたところ、
「そんなにすぐに上手くいきませんよ、脱シャンプーは修行ですからね。」
という言葉が反射的に口を衝きました。
自分でもそんなことを言うなんて驚きました。修行か・・・
※修行とは(Wikipediaより)
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す。
子供の頃からシャンプーが当たり前と思い込まされている世の中で、敢えてそれを止めようとするにはかなりの苦行が伴って当然でしょう。
長年の習慣はそう簡単に止められるものではありません。
今までのヘアケアに慣れてしまっているから、シャンプー・リンスを使わない剥きだし素髪の状態に唖然とするのです。
ゴワゴワ、ベタベタ、まとまらない(涙)
私も長くこの状態が続きました(涙涙)
しかし、5年経過すると素髪が元気で艶のある髪へと変わりました(笑)
ベタベタせずサラサラしています。
このサラサラ感はシャンプーを使っているサラサラとは別物で天然のサラ髪です。ちょっとゴワゴワしているのが愛嬌。
この域に達したら、決してシャンプーやヘアスタイリング剤を使いたいとは思わなくなります。
シャンプーを止めて2~3年の頃は、シャンプーしたい!という衝動に駆られたものでした。
本当にこれでいいのかしら?という不安が正直少しはありました。
脱シャンプー修行を試みる人たちは、①健康志向パターン または ②トラブルパターン のいずれかだと思います。
①より健康的な髪を手に入れたい
②最近髪の毛が細くなりコシがなくなってきた。
このモチベーションが強くないと、成功するのは難しいでしょう。
しかも、周囲の理解がなく「何でそんなことしてるの?」「止めなさい!」なんて言われたら、心が折れてしまうでしょう。
いかなる抵抗にも打ち勝てる強い心が必要です。
自分の選んだ道は自己責任。
周りの意見に惑わされることなく、意思決定していく。
人生前向きに。
脱シャンプーや肌断食をするということは、そういう強い心を養う効果があるのではないでしょうか。
私が願う本来の目的は「経済的・精神的自立」「本質を見抜く力」であり、その手段としてぶれない強い心を持つべく「脱シャンプー・肌断食」があるのです。
手段は何だっていいのです。
私の本業は美容医療ですので、引き算美容を追求していたら「脱シャンプー・肌断食」に辿り着きました。
修行には時間がかかります。
私も20年間医師を続けてきて、やっと少しだけ見えたものがありますが、まだまだ道半ばです。
飽きっぽい私ですが、それでも続けてこられたことには何か意味があると思っています。
そうそう、先日患者様がお勧めして下さった『人生フルーツ』という映画を観ました。
人生コツコツ・・・ という点で心に響いたドキュメンタリー映画です。
東中野のポレポレ座で上映中ですので、ご興味のある方は是非ご覧ください!