今年の夏休みはロシア旅行でした!
モスクワとサンクトペテルブルグ2都市を巡る旅です。
16年ぶりのツアー旅行でしたが、参加人数7名に添乗員付の至れり尽くせりツアーでして、すべてお任せ~の楽チン旅行でした。
エルミタージュは学生の頃から気になっていた場所でしたし、今回はロマノフ王朝について知りたくて訪れました。
サンクトペテルブルグの場所はご存じですか?
革命後はレーニンにちなんでレニングラードとも呼ばれていました。
フィンランドに近いバルト海に面した、北緯60度にある都市です。
革命前はロシア帝国の首都でした。
300年前、有名なピョートル大帝が、何もない湿地帯に建設した人工都市です。
自然の厳しい最果ての地に、よくもこれだけの文化・芸術を集めたものです。
ピョートル大帝がヨーロッパ視察をしてから、(当時田舎だったと考えていた)ロシアを脱却すべく。イタリア・ドイツ・フランスなどから建築家や美術家を呼んで作らせたそうです。
時代はちょっと違いますが、明治維新から文明開化の明治時代を彷彿させます。
宮殿に使う大理石等の石は、イタリアやフランスから運んできたそうな。
冬は零下30度の世界ですよ!
工事は過酷を極めたに違いありません。
それなのにエルミタージュを始め、あちこちの宮殿や礼拝堂のゴージャスなこと!!
建物自体も凄いのですが、調度品・衣類・宝石・馬具・馬車・絵画・彫刻・・・よくぞここまで集めました。
ポイントはヨーロッパ文化を模倣して作ったものなので、ハプスブルグ家の豪華さとは何かが違うのです。
何もかにもがtoo muchで、人生断捨離の私は息苦しくなりました。
人間って本当に欲深いものですね。
現代とは規模が違い過ぎて比較になりませんが。
これら世界遺産のおかげで、世界中から観光客が集まり、ロシアには多大な恩恵をもたらしていることでしょう。
しかしその陰には、多くの市民の犠牲があったことは間違いありません。
だからこそ革命が起き、しばらく社会主義国家が続いたのであります。
実は1991年、大学1年生の夏休みに家族旅行でソ連に行きました。
この時は東のソ連、ハバロフスク、マガダン、ペベックというマニアックな都市を巡りました。
ソ連時代は物資が本当に何もなく、お店は商品もなければ活気もなし。
街中にはウォッカを飲みながらビンを投げつける酔っぱらいのおじさんがあちらこちらに。
断水当たり前、お湯も出ないので、10日間お風呂に入れずじまい。
食事中はハエがぶんぶん飛び回り、払いのけるのも諦めてハエと共にお食事。
シベリアの広い大地でピクニックをしたり、砕氷船に乗ってガンガン氷を砕いたり・・・
若かりし日の私には鮮烈な印象ばかりが残っています。
そして帰国直後にソ連崩壊、ペレストロイカです。驚きました。
あれから26年。
時代の変化や国によって価値観が異なります。
命の危険に晒されない平成の日本で過ごせることを有難く思います。
普段当たり前に思っていることが、世界へ出ると日本基準が特殊なことが良く分かります。
海外へ行くと、自分の立ち位置を再確認できるのがいいですね。