院長ブログ

ボトックス in 済州島

学生時代から美容外科医を目指していた私は、2000年、ようやくスタートラインに立つことが許されました。

北里研究所病院 美容医学センターで美容外科研修の始まり始まり

医学部6年、研修医3年の9年越しで、美容医療に携わることができました

採用が決まった時の喜びと言ったら、今までの人生を振り返っても1~2位を争う感動です

ああ、これで念願の美容外科を学ぶことができる

 

ところが!

人生、そう上手くいかないものです。

研修1年目にして、まさかの妊娠

しかし、第一子の妊娠も1~2位を争う感動事でした。

嬉しさ100倍なのですが、カラダが言うことをききません。

美容の手術をどんどん経験して、一流の外科医になりたい気持ちと、産まれた赤ん坊を育てる責任感の両天秤でした。

妊娠する前は夢ばかりで、人生不可能なことなど無いと、本気で友人と語らったものです。

ところがもう一つの命を宿ったことにより、「人生有限」を意識せざるを得ない状況に追い込まれます。

 

美容外科は私の人生でしたから、そう簡単に諦めるわけにはいきません。

何としてでも続けたい、必死でした。

お腹が膨らんでも、ギリギリまで働きました。

今考えれば、手術室に妊婦がウロウロしていたら、周囲も気になったでしょうねスミマセン。

ちょうどその頃、韓国の女医さんが、美容医療を見学するために北里研究所病院を訪れていました。

※当時はまだ『韓国ドクター』が日本で学んでいたのです!!「冬のソナタ」が流行る前のことでした。

彼女も妊婦で予定日も同じころでしたので、親近感がわき、仲良くさせていただきました。

「韓国ではボトックス治療の研究が熱心で、脚を細くしたり、顔全体に打って肌をキレイにするマイクロボトックスという技術もあるの。日本のドクターも一緒に勉強会があるの。済州島でやるから来ない?」と誘われ、喉から手が出るほど参加したかった!今でも忘れません。

しかし、1月に出産して、産後8週の3月には職場復帰。済州島での勉強会は3月に行われる予定でしたが、さすがにハードスケジュール過ぎて、泣く泣く参加を諦めました。まさに人生有限。

それ以来、ボトックスって、いろいろな可能性を秘めた治療なのだと意識するようになりました。

上手に使いこなせるようになりたいなぁ。

当時は医師個人個人が勉強する機会を探し、技術を習得し、ボトックスを個人輸入して治療を行うような時代でした。

日本語でボトックスを学べる教科書などなく、上司の宇津木先生が、海外出張した際、英語の書籍を買ってきて下さり、それを熱心に読んだものです。

ほんの20数年前のことなのに、このように回顧してみると、信じられないくらい過去のような話ですね。

日々の診療で、ボトックスが大躍進するまでにはしばらく時間がかかりました。

つづく