「日本では子供の8人に1人が相対的貧困に直面している。
家庭の経済的な事情による教育環境の格差が大きく影響する。」
貧困により、教育格差が生じ、将来の選択肢が狭まり、視野も行動力も狭まるということです。
そこでソニーグループ元社長の平井一夫氏は、感受性が豊かな子供時代に、心から感動するような体験を提供する「プロジェクト希望」を設立。運営資金は100%個人資金。公的資金では使途に制約もあり、思い切った試みが出来ないからだとか。
以上日経新聞より。う~む、素晴らしい。
子供時代の感動体験は、人間形成に大きくプラスに影響すると、私も強く共感。
「経験値を高める」は、我が家の教育指針の一つでもありました。
「プライスレスな経験を」「モノより思い出」も我が家の家訓であります。
さらに思うことは、家族や友人、恋人などを通した良い人間関係というのも、人生の質を高める上では欠かせない感動体験だということ。
若い頃の友人や恋人は、一時の関係で終わってしまうこともあります。
しかし、その人たちが大好きで、青春時代を共に過ごした思い出というのは、まさに感動体験そのものです。
「特に恋愛というゲームの場では、ひとは自己と他者についてとことん学ぶ」by 上野千鶴子
若者よ、もっと恋愛せよ、と言いたい。
エネルギー溢れるあまり、恋は盲目であり、お互い傷つけ合いながらも、成長していきます。
恋人と別れたら、元カレに関わる品々を全処分してしまう友人もいますが、物品を処分したところで思い出まで消去できるものなのでしょうか。
精神がひりつくような痛みを覚える経験をしたことも、今となっては自分自身の血となり肉となり、嫌な思い出すら懐かしめるようになっているのは、傷の程度が浅いのか、私の神経が図太いのか。
あまり過酷な経験をしてこなかったと言えば嘘になるような気もするのですが、他者に対するリスペクトがねじ曲げられるほどの劣悪な経験というものをしてこなかったことは、たまたまラッキーだったのかよく分かりません。
セクハラをされた記憶がないくらいなので、本当に鈍感なのか、メンタルが強靭なのか。
大切な思い出は骨の髄に染み込んでいます。
切り離して消去、なんて出来ません。
保存された多種多様な体験の保存フォルダが、その後の人生を豊かにしてくれたような気がします。
私というコンピューターは、だいぶメモリーが埋まってきているので、やはり一部消去は必要なのでしょうか?
いえいえ、アップグレードして、メモリーを拡張します