書店で「ヒトの壁」(養老孟司著)に目が留まり、思わず手に取りました。
養老先生と言えば2003年に「バカの壁」が大ヒットしましたね。
もともと東京大学の解剖学教室の先生であります。
当時、近所の書店でこの挑発的なタイトルにググっと惹かれ、思わず手に取った光景が今でも忘れません。
家族で回し読みしました。
時は遡ること30年ほど前。
大学時代に縁あって、とても良くして頂いたP先生がいました。
私にはいつも仲良くしていた4人組がいたのですが、このP先生は私たち4人を平等に可愛がって下さいました。
学生なのに、アトランタで開かれた学会にまで連れて行って下さり、ゴルフやスキーまで。
※援助交際ではありません
P先生の大学時代の同級生が養老孟司先生だったので、よく「養老が、養老が、、、」と話しを聞いていただけに、私は養老先生にお会いしたことも面識もないにもかかわらず、勝手に知り合いのような気分になっています。
久し振りに養老先生の本を拝読しましたが、その知性には驚くばかりです。
「興味ない」とか言いながら、政治・経済・歴史・哲学・美術・古典などあらゆる分野のことをよく知っていらっしゃる。
さすが作家、読書量が半端じゃない。記憶力も凄まじい。
また最近の若い人の活動なんかもよくご存じで、脳の活動が戦前から80年以上連続性を感じるのです。
全く老化していない、どんな脳みそしているのでしょうか。
養老先生はもう人生を、世の中を俯瞰しちゃっていますから、ズバッと意見を述べるところが清々しい。
先生曰く、『「自然」っていうのは、要するに人が意識的に作っていないもの』らしいです。
我々美容医療に携わる者の間でよく耳にする言葉、「自然な美しさ」とは何でしょうか?
顔の造作を変えるような、医学的介入を行って形成した顔に「自然な美しさ」なんてあるわけないってことですよね。
私たち美容皮膚科が行うシミ取りやシワ治療も「自然な美しさ」とは言えないのでしょうか。
いや、私の解釈では、「なんかいじったな(自然ではあり得ない)」という違和感を感じた時点で、もうそれは「自然美」ではなく、「人工美」と言ったらよいのではないだろうか。
しかし、私たちの業界では「人工美」という言葉は決して出てこない。
なぜだろう。
それは、日本人の精神性の中に、八百万の神とか自然の中で生かされているといった感覚が備わっているためではないだろうか。
頑なに「自然な美しさ」を強調しながら「人工美」を量産するから違和感を感じるのだろう。
私には「人工美」が美しいと思えないし、興味ありません。これは好みですけど。
東京なんか人工物だらけ、ネオン輝くビルディングをバンバン作っている。
全然美しいと思わないけれど。街並みが揃っていないし。
やっぱり海とか山とか、ド田舎の里山なんか目にすると「美しいなぁ」ってしみじみ感じますね。
またいつもの癖で、自分の仕事に紐づけちゃうんですよね。
お顔のお手入れも大切ですが、同時に我々はもっと知性のお手入れをした方が良いのではないかと思っています。
立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏の「哲学と宗教全史」や、
作家で外交官だった佐藤優氏の書籍を読むと、
彼らの溢れ出す泉のような知識に驚愕してしまいます。
知性の壁と進撃の巨人を連想してしまいます。
久々に養老先生にハマった数日間でした。