年に1つは新しい治療を取り入れる、という意識を持って取り組んでいます。
今年は、下眼瞼のシワ、たるみ、クマに対してヒアルロン酸注入を始めました。
まぶたの皮膚は薄くて、眼輪筋の動きも大きく、従来のヒアルロン酸注入では凸凹が目立ったり、チンダル現象というヒアルロン酸が青く透けて見えてしまう副作用が出やすいのがネックでした。
これはいいぞ!というものを見つけてはトライしたものの、痛みや費用の割には効果が安定せず、難しい治療です。まぶた治療は医者泣かせ
目元のシワやたるみに対しては、従来のボトックス+ヒアルロン酸注入でも治療の限界があります。
今年の学会では、まぶたのシワ・たるみ治療としてのヒアルロン酸に関する発表を何度か耳にし、積極的に治療に取り組んでいる先生に直接話を聴くことができました。
なめらかなヒアルロン酸と、皮膚の構成成分であるコラーゲンの材料アミノ酸をブレンドした注射です。
注入剤で膨らますというより、入れたものを肥料にして、自分自身の細胞が頑張るという作用です。
「何かいいかも」
いつもの私の直感が働き、早速スタッフをモデルに試し練習。
まぶたの薄い皮膚に、0.02ccずつチクチク注射していきます。
こういう細かいテクニックは、マイクロボトックスで習得しているので、私は得意です
直後はスキー場のモーグルのようにボコボコした赤いコブがたくさんできるのでびっくりしますが、1~2時間するとすーっと引いてしまいます。
そして肌にハリがでます
表面麻酔を塗ってから注射すると、痛みもそれほど苦痛ではなさそうです。
そして内出血もほとんどありません。
アレルギー反応もほとんどないとのことです。
推奨治療頻度は1~2週間に1回を4回連続で行います。
ややタイトなスケジュールなので、治療間隔は臨機応変に対応しています。
一番驚いたことは、「まぶたに注射することでハリがでますよ。」と説明すると、患者さんのお目目がキラキラと輝くのです。すごく期待して嬉しそうな表情を見せてくれます。
美容医療って、やっぱり夢のあるお仕事で楽しい
女性はお肌をきれいにお手入れしておくと、人に褒められるので自信がつくようです。
そして人生前向きに積極的になるとか。
ある意味、心の精神安定剤のような働きなのでしょうね。
高齢になっても自立して元気に暮らせるためのお手伝いをしていると思うと、仕事を通して社会貢献出来る気がします。
目元にハリが欲しくなったら、声を掛けて下さいね!
何万円もするクリームを毎日塗り込み、薄さ0.02mmの角層をふやかすより、大量のヒアルロン酸とアミノ酸を真皮に直接入れるほうが断然効果があると思います。
いつかこんな日が来るだろうと想像していましたが、父が倒れました
脳梗塞でした。
かかりつけの病院に救急搬送され、緊急カテーテル手術を受け、命は助かりました。
担当医師は分かりやすく丁寧に説明して下さるし、
看護師の方々は皆優しく真心こめて対応して下さいました。
感謝しかありません
今回の件で、日本の医療へのアクセスがどれだけ優れているかということを実感しましたので、記憶が鮮明なうちに記しておきたいと思います。
命には“運”があるとも感じました。
父は日頃から、かかりつけ病院と家族の連絡先を書いたメモをパスケースに入れて持ち歩いていたので(長生きしたかったらしく、このあたりの用心深さは感心)、救急隊がすぐに連絡を取ってくれたのだと思います。
たまたま外出先のレストランで倒れたので、お店の人がすぐに救急車を呼んで到着。かかりつけ病院のすぐ近くだったこともあり、発症から1~2時間以内で緊急手術を受けることができました。
家で1人だったらもうお陀仏でしたし、コロナ禍で医療崩壊が起きていたら、受け入れ拒否で三途の川を渡っていたかもしれません。
病院が他の患者の治療中だったら、これまた受け入れ不可。他の病院へたらい回しとなり、時間経過とともに脳梗塞の後遺症はひどくなるばかりです。
いくつかの奇跡が重なったからとは言え、救急車対応、病院対応は一流国だと思いました。
国民皆保険制度がなければ受けられない高度医療だと思います。
どこかの国のように、お金がない人は切り捨てられてしまう国となってもいいのでしょうか?
私は今回の父の件で、日本という国に大いなる感謝の気持ちを抱いています。
このような医療が当然のように受けられるニッポン
優れた人材や制度のおかげで、私たちは安心して暮らすことができるのです。
あ、言っておきますが、私が医師だからと言って知り合いがいる病院ではありませんので、コネなど全くございません。父が自分自身で長年通うかかりつけ病院だというだけです。
お医者さんが切磋琢磨して医療技術を磨かなければ、高度な医療は受けられません。
そして医師、看護師や技師さんなど医療現場で働くスタッフが不足しないよう、また疲弊しないよう人材確保しないと成り立ちません。
夏のコロナ第8波の時は、医療スタッフが不足して病棟閉鎖をしていた時期もあったと聞きました。
どんなにお金を出しても、人がいなければ医療は成り立ちません。
これからは医療が必要となる高齢者が増える一方、働き手は減少の一途をたどります。
将来、質の良い医療を国民が受けられるのか心配です
これからの日本を担う若者が立派に育つよう、やはり子育てと教育支援に力を入れないと、痛い目に合うのは我々大人自身だということをしみじみ考えさせられます。
老後2000万円とかお金の心配ばかりしている場合ではございません
教育に、人材に投資しないと
医療が当たり前に受けられることの有難さを痛感させられました。
安心安全の日本でいられるために、若者の未来を応援したいと思います。
戦後、日本は目覚ましい経済成長を遂げました。
1950年は世界のGDPが5.3兆ドルに対して日本の占める割合は3%でした。
1994年に日本のシェアがピークとなり、17.9%。
その後失われた30年の間にどんどん縮小し、2021年にはなんと5%まで低下してしまいました(世界GDPは96.3兆ドル!)
ちなみに2000年頃は日本と米国と英国のGDP合計が世界の約半分を占めていたのが、20年後の今では約1/3に減少したそうです。相対的にアジア勢力の力が強まったということです。
国の豊かさはお金だけで測るものではないと思いますが、「GDPは創出付加価値の総和であり、汗をかき経済活動をする総体を捉える概念」と寺島実郎氏は述べており、それに関しては私も納得しています。
終戦後、焼け野原で何もかも失った日本人が、豊かさを求めて必死に頑張ったのですぅぅぅ
人は何かやり遂げたいという情熱と、頑張れば良い未来が待っているという期待が持てるからこそアクセルを踏んで前に進めます
しかしながら、社会全体がある程度物質的に豊かになったことで、休みもなくモーレツに働く会社員の馬車馬人生に疑問を感じる人が増えたのではないでしょうか。
子供のころからある程度満たされた状態で育っていれば、そんなにガツガツしなくたっていいでしょ、と考えるのも自然の流れなのでしょう。
そして世の中がどんどん便利になっているから、人間易きに流れてしまいます。
ゆとり教育だの働き方改革だの叫ばれていますが、それは単に安易な方向に流されているだけのような気がしてなりません。
「まあそこそこテキトーに生きましょうよ。美味しいもの食べて、楽しいことができればそれで満足。辛い仕事なんてやる気ないし。政治経済は誰か頭のいい人たちがやってくれるでしょ。」これが日本人マジョリティーの民意だとしたら、私はとても悲しい
そういう私自身も、何だか最近テキトーに生きているなぁと感じることが増えました。
子育てが終わって暇になったからかなぁ。
嫌なことはやりたくないし。
眠たければ寝たいし。
診療は好きだけれど、そんなにガツガツやらんでもええんちゃう?(←エセ関西弁)
・・・なんて思うと、ありゃ?これぞ現代日本人を蝕む精神そのものではありませんか??
美容医療で何とか成功したい気持ちが強かった若かりし頃は、あれこれ必死にチャレンジしていました。自分で言うのもなんですが、まあいろんなことに手を出して、ときどき火傷しながらも何とか生き延びてきたもんです。成功の定義も難しいのですが、単純にたくさんの患者さんに来院してもらって、予約一杯になり、治療結果に満足してもらって、売上も上がっていくというようなことをイメージしていたのだと思います。
40代後半になると、開業という枠組みの中では、自分が出来る範囲のことはやった、ある程度結果も出せた、と思えるようになりました。すると今までのように右肩上がりの成長だけ望むことに違和感を覚え始めたのです。追い求めているものが違うとでもいいましょうか。でも、何を求めているのか自分でもよく分からないのです。
あれ?これって、私自身が今の日本社会の縮図そのものではありませんか
ある程度目標達成した後のユートピアが描き出せずにいるのです。
自分の人生を振り返っても、若い頃は成長を続けて、40代後半から停滞・・・という流れは、日本社会と非常によく似ています。これを放っておいて易きに流れ続けていたら、衰退の一途を辿ることは間違いないと思うのです。
先日、いつもお世話になっている白金の美味しいケーキ屋さんのケーキを食べながら、「もしケーキ屋さんたちが努力しなくなって、ケーキがどんどん不味くなってしまったら、私はとても悲しい そんなの嫌だ。」と思いました。美味しいケーキを作り続けるには、人々の不断の努力が必須です。日本人が努力することを放棄するということは、一流のモノやサービスを諦めることになりませんか?私はそんなの絶対に嫌だと思いました。
時刻表通りに出発する電車、清潔な公共設備、夜道でも女性一人で歩ける安心な街、落とし物が届けられる社会。
日本には世界と比較しても良いところがたくさんあります。それを失っても構わないと思っている人がたくさんいるのでしょうか。
戦後77年、この国は、世界は大きく変わりました。
今までの資本主義社会は限界に来ています。
GDPだけ追いかけるのは何か変。
新しく目指すべき社会の姿ってどんなものなんでしょうか。
脱成長?倫理資本主義?
世界中の哲学者や経済学者など有識者が議論を繰り返していますが、そんなに単純なものではなさそうです。
私自身が初老になり、これからの当院の目指すべき姿を考えることが、日本の在り方を考えることと重なることに気付きました。
まだ結論は出ませんが、若い人が夢を持って活躍できる社会(クリニック)にすることではなかろうか?という大雑把なイメージを持っています。
GDPが全てとは思いませんが、それに代わる基準が示せない以上、やはりGDPを捨てる勇気はなく、「誠意をもって価値ある仕事をしましょうよ」と言うのを今夜の結論にして終わりたいと思います。
最近、個人的に社会問題に対する関心が超HOT、マイブームです。
YouTubeで政治に関する討論などを視聴したり、オンラインの勉強会などに参加してみたり、読書したり。
具体的には教育問題、選挙制度の問題、経済問題、少子高齢化問題、環境問題など多岐に渡ります。
私のような小市民一人が何か社会を変えられるわけではありませんが、いろいろな知識人の話を聞いて、自分なりに思考する時間が幸せであり、充実感に満たされます。
少子化問題について考えてみます。
世界共通して言えることは、文明化が進むと一人の女性が生涯で産む子供の数は減るということ。
日本では2021年に産まれた子供の数は84.2万人、合計特殊出生率は1.3。
2022年生まれの子供の数は80万人を切ると予想されています。先細りは必須。
もっと気になるのは、20代男性で交際経験のない人は約40%、20代女性では25%いるそうです。
ボーっとしていたら恋も出来ない時代になったのでしょうか。
それとも恋愛以外にも楽しいことがたくさんある複雑な世の中ということなのでしょうか。
もっともっと気になったのは、国勢調査によると、男性の生涯未婚率は正規雇用が17%に対し、非正規雇用は51%だということ。(女性はそれぞれ22%と8%)
男性は正社員でないと結婚しにくいということです。
それはいまだに男性が経済的に自立して家庭を支えていくという価値観が強いからです。
妻がバリバリ稼いで、非正規の専業主夫が家事と育児を主に担うというケースは確かに少ないです。
私の身近に知っている範囲でも片手で数えられる程度でしょうか。
男女間の伝統的分業が根深い日本社会独特のバイアスがあると思います。
いずれにしても、子供を産める若い世代の女性は減少する一方なので、一人の女性が5人くらい子供を産まないと少子化問題は止められるはずがありません。残念ながら、それはあり得ないでしょう。
そうなると人口ピラミッドがひっくり返った構造でも、社会が機能するようなデザインを考えないといけないことになります。
現役世代が高齢者を支えるという現状のシステムは続かないでしょう。
そうなると高齢者を諦めることになるでしょうか。
それとも驚くべき技術革新により、効率的な介護ビジネスが発展して、長生きさせられるようになるのでしょうか。
もしくは、死ぬまで働かないと生きていけないような時代
私が期待したいのは、驚くほど優秀な頭脳を持った若者の能力が十二分に発揮できるような社会にすること。
日本社会は出る杭をすぐに打ち付けてへし折ってしまいますが、内輪もめしている場合ではありません。
日本の存続がかかっています。
烏合の衆が1000人揃っても歯が立たない天才たちに、ドカンと富を生み出してもらう。
そして我々小市民はその恩恵を受けながらも、自分たちのやりたいことができる社会。
介護が必要になったら、年齢・バックグラウンド・職務経歴・資産・要介護度などをマッチングアプリに入力して、老人ホームを自動的に決められるような時代が来るのでしょうか。ケアマネージャーの仕事が要らなくなりますし、施設で働く人もAIロボットです。
今日は少子化について考えてみましたが、向こう10年くらいで我々の生活はガラリと変化する局面にいると思います。
そういうことを考えるのは未知との遭遇、ワクワクします。
人生100年時代。
還暦のお祝いに、「シミ取りチケット1万円分」を配布できる自治体があったら楽しいのになぁ。
そんな税収ありゃせんわっと怒られそうです
高齢者の肌を清潔にする美容医療という切り口で、まだまだ私の仕事もお役に立てそうです。
ご縁があって、紀尾井町にあるお寿司屋さんでお食事をする機会がありました。
超人気店で、予約困難なお店です。
せっかくなので帰り際に次の予約をお願いしたところ、3月以降だとか!!半年後です
人気店には理由がありました。
忘れずにそれを書き記そうと思います。
①感動の余韻が日ごとに増幅している
普通ならば、どんな感動体験でも、時間経過とともに薄らぐものですが、今回のお寿司体験は数日たった今の方が、私の心に迫る何か熱いモノが膨張している感じがします。
②マイナスポイントがない
どんなにお寿司が美味しくても、例えばホールスタッフの愛想がないとか、食事が出てくるまでの待ち時間が長いとか、店内の汚れが目につくと残念に思いますね。しかし、こちらのお寿司屋さんで過ごした3時間の中で、不快に感じるマイナスポイントは1つもありませんでした。
③静かな空間
6席のカウンター、お客さんの数が限定されており、私たち以外の2組も静かにお食事を楽しんでいました。店員さんの動きも物静かで、雑音が気になりません。電話の音も聞こえませんでした。
④開店までのストーリー
1年前にオープンしたお店。大将が寿司屋を志した理由。20年以上の他店舗で修行し、店長になるまでのお話。そして店長としての覚悟などを直接お聞きすることができました。また、ホールには20代の若きマネージャーがいまして、彼がスカウトされて今の仕事をすることになったお話なども聞かせてくれました。人の仕事に対する情熱は私の琴線に触れます。
⑤徹底的に清潔な店内
清掃が行き届いていることはもちろん、整理整頓も徹底。基本的に物品は収納されており、シンプルに美しい空間が維持されています。全てのモノに意味があると感じました。
業種は異なりますが、個人経営のお店と言う点では共通しており、学ぶことはたくさんあります。
もやは空腹を満たす飲食店というカテゴリーではなく、アートです。芸術です。
彼らを見習い、まだまだ当院にも出来ることはたくさんあるはず
やる気と勇気を十分に充電できた、貴重なお寿司体験でした。